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高千穂の峰と高千穂峡が織り成す神秘の名瀑「眞名井の滝」の魅力

はじめに

高千穂の峰は、日本神話で天孫・ニニギノミコトが降臨した地とされている。高千穂の峰に登ることはできないにしろ、高千穂峡には行ってみたいと久しく思い続けていて、やっと訪れる機会を得た。

高千穂峡谷の眞名井の滝に行った際には、私が観光用ボートを漕いでいたのでボートから撮影した写真はあまり残っていない。その分、妻が自分のiPhoneでかなりの枚数を撮影したようだ。

私の妻は食べ物しか撮らないのかと思っていたが結構風景写真を撮っているのを彼女の写真データをみて不覚にも初めて知った。それも結構センスの良い構図で撮っていることを知り、驚いた。率直に言って私よりセンスがあるかも知れないと思う。

その中から私の感性で選んだ写真を掲載したいと思う。すべての写真の撮影者は私の妻であり、当然ながら著作権は彼女のものだ。今回、掲載を許諾してもらったので是非、見て頂きたい。

ちなみ私が撮影した写真はこちらの記事に掲載しているので、是非、ご覧頂きたい。


御塩井【おしおい】駐車場が満車であったため、あららぎ駐車場に車を止め、駐車場横にある「あららぎ乃茶屋」から遊歩道を通って御塩井駐車場に向かう。その近くにボート乗り場がある。

遊歩道の途中に新旧の橋が見える場所がある。新旧の橋とは、神都高千穂大橋神橋のことである。

高千穂峡谷は想像以上に狭い渓谷であることを知った。

ほぼ垂直に削り取られた渓谷になっている。

遊歩道を進むとやがて眞名井の滝展望台に到着する。

眞名井の滝は周囲の景観と相まって感動を与える滝である。

高千穂峡と書かれた石碑前
紅葉が美しい
伏流水が地表に滝となって現れた場所

御塩井駐車場横にある観光ボートのチケット売り場でチケットを購入し、ボート乗り場に向かう(徒歩3分程度、下り坂)

ボートを漕ぐのは久し振りではあったが結構うまく操れたのではなかろうか。流れが速くないので漕ぎやすいということも功を奏した。

遠くからでは分からなかったが近寄ると結構な水量である。マイナスイオンをしっかりと浴びることができそうだ。

両側はほぼ垂直の壁のように切り立っていて、崖上から落ちてくる滝は迫力のある眺めである。

眞名井の滝は、日本神話によれば天村雲命【あめのむらくものみこと】という神が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移したことからできた滝とされる。

この神秘的な美しさの中にいると穢れが落とされる気がする。

先程、眞名井の滝を眼下に見ていたを今度は見上げる。

川面に浮かぶ木の葉を見るとほとんど流れがないように見える。

眞名井の滝から離れ、もうすぐ折り返して地点に到着する。

折り返し地点で、ボートの向きを転換して乗り場に向かう。

眞名井の滝の下を通過するの楽しい。しかしこの場所が最も混みあうので長居はできない。

神秘の瀧「眞名井の滝」で、マイナスイオンをしっかりと浴びたためか、天候は今一であったが、気持ちは晴れやかである。

滝が左右のどちらから落ちてくるかでボートの位置が分かる。

30分のボート遊びはあったという間に過ぎてしまう。ボート乗り場で順番を待っていた時間の方が長かったように思う。

楽しい時間は短く感じるのは常であり、致し方ない。帰路に就くとしよう。

よくぞこれほどの枚数の「眞名井の滝」の写真を撮ってくれたものだと妻に感謝である。

あららぎ駐車場(約50台)
宮崎県西臼杵郡高千穂町押方1245
御塩井(おしおい)駐車場(約40台)
宮崎県西臼杵郡高千穂町向山
高千穂峡の中心となる駐車場。カーナビ設定時には、「高千穂峡淡水魚水族館」を設定すると良い。
高千穂峡 | 高千穂町観光協会 | 宮崎県 高千穂の観光・宿泊情報

あとがき

社会人になったばかりの頃から高千穂の峰に登山したいと思っていたが、時が過ぎ、体力に自信が無くなった今はそれは叶わないと諦めている。それでも妻の誘いのおかげで高千穂峡に来ることができたのでそれで満足しようと思う。

高千穂峡谷という、驚くほどに狭くなった峡谷を私は他にしらない。黒部峡谷の猿飛峡も狭かったが、この峡谷の最も狭い所なら猿ではなく私でも飛べそうな感じである。高さがあるので、決して飛びたいとは思わないけれども、それくらいに狭いということだ。その峡谷が少し広くなった場所に高千穂の峰々から集めた水がに眞名井の滝となって注ぎ込む。

眞名井の滝は、期待していた以上に素晴らしかった。落差や水量を単純に比較すれば、眞名井の滝以上の滝は他にも多く存在するが、神話の伝説が残るこの滝にはどこか神秘性を感じてしまう。

本稿は、妻の写真を他のブログ記事にも掲載してみようと思うようになった記念すべき記事である。最初に書いたように本稿の写真は妻が自分のiPhoneで撮影した写真ばかりである。私が撮影した写真は一枚も掲載していない。

私の腕が未熟なばかりに、ミラーレス一眼レフの愛機とレンズには申し訳ないと思っている。宝の持ち腐れにならないよう精進しなければならないと思い立ったきっかけにもなった本稿である。