はじめに
浦島太郎は浜辺で子供たちにいじめられていたカメを助け、お礼に龍宮城に連れて行ってもらった。竜宮城では、美しい乙姫様がいたり、タイやヒラメの舞があったりして、毎日を楽しく過ごした。しかし故郷が恋しくなり、浦島太郎が村に戻りたいと言い出すと、乙姫様が『玉手箱』を土産にくれた。ところが、帰ってきた村は、何百年も経ったあとの世界で見覚えのある顔の人は誰一人としていなかった。浦島太郎は悲しく、寂しくなって玉手箱を開けてしまった。すると玉手箱の中から煙が立ち込め、みるみるうちに、浦島太郎はおじいさんになってしまった。
以上が私が知っている「浦島太郎」のあらすじである。
そんな浦島太郎伝説が残る地に「フラワーパーク浦島」がある。
<目次> はじめに フラワーパーク浦島 荘内半島に伝わる浦島太郎伝説の地名 |
フラワーパーク浦島
フラワーパーク浦島(香川県三豊市詫間町積528-1)は、荘内半島に位置し、休耕田を活用した「お花畑」である。
香川県農業開発公社に預けている休耕田を詫間町が花作りをすることで保全管理をしているというユニークな花の公園である。
休耕田となる前は除虫菊が栽培されており、それに一番似ているということでマーガレットを中心に四季折々の花が栽培されているという。
有難いことに花の手入れは地元の高齢者の方が中心となり行っているらしい。
そんなフラワーパーク浦島は、瀬戸内海に面し、青い空の下、島々を背景にして色とりどりの花が美しいお花畑である。
特に5月はマーガレットが一面に咲き誇り、圧巻の景色をみせる。そのマーガレット畑で虞美人草(ポピー)を見つけることができた!
ポピーは、ヒナゲシ(雛芥子)のことでケシ科ケシ属の植物である。シャーレイポピー(Shirley poppy) やグビジンソウ(虞美人草) とも呼ばれる。
ヨーロッパ原産の一年草で、他のケシ科の植物も含めて単にポピーと呼ばれることもある。(引用:ウィキペディア)
荘内半島に伝わる浦島太郎伝説の地名
浦島太郎の伝説は日本各地に残るが、フラワーパーク浦島がある香川県三豊市詫間町「荘内半島」もその一つである。
詫間町に残る浦島伝説にまつわる地名・遺跡には、下記のようなものがあるという。
- 浦島(荘内半島と粟島、志々島のかつての総称)
- 生里(浦島太郎が生まれた里)
- 糸の越(浦島太郎が釣り糸を持って通った所)
- 鴨の越(浦島太郎がカメを助けたとされる浜辺)
- 丸山島(鴨の越の海岸にある島。島には竜王宮がある)
- 箱(浦島太郎が玉手箱を開けたとされる所)
- 紫雲出山(玉手箱から出た煙が紫の雲となってかかった山)
- 上天【昇天】(紫雲出山中腹、浦島太郎が昇天した場所)
- 仁老浜(老人となった浦島太郎が余生を過ごしたとされる)
- 積(浦島太郎が竜宮城から宝物を積んで帰りついた場所)
- 金輪のはな(太郎と握手をした乙姫さまが腕輪を落した所)
- 室浜(浦島太郎が若さを維持してしばらく暮らした場所)
荘内半島にある大浜・積・生里・箱・香田・粟島・志々島の地は、かつて総称して『浦島』と呼ばれていたそうである。
室町幕府第3代将軍・足利義満が、1389年に厳島神社に参詣した折に、瀬戸内航行の要所にある三崎神社(生里)を参拝した。
その際に「へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の名こそしるけれ」と詠んでいることから室町時代当時には既に「浦島」と呼ばれていたことが史料からも分かっているらしい。
糸之越は、浦島太郎が釣りをしていた場所とされる。浦島太郎が休んだ越掛石もあるという。
鴨の越の海岸は、浦島太郎がカメを助けた場所であるとされる。
丸山島は、鴨の越の海岸にある島で、島には竜王宮がある。干潮時には歩いて島へ渡れるという。
箱の地は、浦島太郎が玉手箱を開けた所とされ、この里には浦島太郎親子の墓が祀られている。現在は、浦島公園になっている。
紫雲出山には、浦島太郎が玉手箱を開けた時に、立ち昇った白煙が紫の雲となってこの山にかかったという伝説が残る。山頂付近には浦島太郎を祀る竜王社がある。
上天(昇天)の地は、紫雲出山の中腹にあり、浦島太郎がここから昇天したといわれている。浦島太郎伝説では、浦島太郎が鶴となって乙姫さま(カメ)のもとへ帰ったという説もあるという。
仁老浜は、浦島太郎の母の生家があったとされる場所である。「仁義深き老人の浜」として老人となった浦島太郎が余生を送ったとされる場所でもある。
積の地は、浦島太郎が乙姫さまから送られた宝物を積んで到着した所とされている。
金輪のはなは、乙姫さまが浦島太郎と握手をかわした時に自身の腕輪(金の輪)を落としてしまった所とされる。
室浜は、竜宮から帰った浦島太郎が2~3年釣りをし、その間若さを失わなかったので不老の浜と呼び、「ぶろま」といわれていた浜であるという。