はじめに
磨崖仏【まがいぶつ】は、石仏の一種で、自然の岩壁、露岩や転石に造立された仏像のことである。(引用:ウィキペディア)
<目次> 熊野磨崖仏【大分県】 不動明王二童子像 大日如来像 臼杵磨崖仏【大分県】 ホキ石仏第二群 ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏) 山王山石仏群 古園石仏群 奇絶峡・摩崖三尊大石仏【和歌山県】 |
熊野磨崖仏【大分県】
熊野磨崖仏(大分県豊後高田市田染平野)は、国内最古にして最大級の磨崖仏として知られている。
そこには平安時代末期の作と伝わる「大日如来」と「不動明王」の磨崖仏があり、国指定重要文化財となっている。
熊野磨崖仏への入口は、田原山(鋸山)山麓にある今熊野山胎蔵寺(豊後高田市田染)にある。
この寺の脇から急な山道を300 mほど登ると自然石を乱積にした石段に達する。
鳥居から磨崖仏まで続く100段もの石段には、鬼が一夜にして築いたという伝説も残っている。
この急峻な石段を登ると左手が開け、岩壁に刻まれた巨大な磨崖仏2体が姿を現す。
石段を登りきった場所には熊野神社が鎮座する。
不動明王二童子像
向かって左側に位置するのが半身像の不動明王で、高さが約8mもある。作者は不明だが、鎌倉時代の作とされている。
安山岩質の礫混じりの硬い岩壁に彫られているため、彫り口がやや浅い。通常の明王像とは異なり、口元に柔和な笑みを浮かべているように見えなくもない。
不動明王像の左右両脇には高さ約3 mの矜羯羅童子【こんがらどうじ】と制多迦童子【せいたかどうじ】の二像の痕跡も認められるという。
大日如来像
向かって右に位置するのが半身像の大日如来で、高さが約6.7mもある。高さ約8mのくぼみ(龕【がん】)の中に彫り出されている。
螺髪等の造形的特徴から、不動明王像よりも制作年代が遡ると推定されている。光背上部の種子曼荼羅は鎌倉時代の追刻とされる。
通常の大日如来像は菩薩形(髻を結い、装身具を着ける)に造形されるが、本像は頭髪を螺髪としており、本来の像名は不明である。そのために重要文化財指定名称は「如来形像」になっているという。
臼杵磨崖仏【大分県】
臼杵磨崖仏(大分県臼杵市深田)は、彫刻の規模・質の高さ・数量においてわが国を代表する石仏群であり、61体すべてが国宝に指定されている。
平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと伝わるが、何の目的で、誰が造営したのかは十分に解明されておらず、現在でも多くの謎に包まれているという。
磨崖仏造営の時期や事情を証する史料が一切残っていないという。石仏群は、地名により、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群、山王山石仏および古園石仏の4群に分かれている。
ホキ石仏第二群
ホキ石仏第二群は、向かって左の第一龕【がん】と右の第二龕からなる。
第一龕は、定印の阿弥陀如来坐像を中心に、左右に脇侍菩薩立像を配置している。向かって左にはほとんど原形をとどめない菩薩形立像2躯がある。
第二龕は、九体の阿弥陀如来像を中心とする。中央に阿弥陀如来坐像、その左右に4躯ずつの阿弥陀如来立像を配置している。
これらの左右に1躯ずつの菩薩立像を配置するが、向かって左の菩薩像は原形をとどめていない。
ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏)
ホキ石仏第一群は、4つの龕【がん】に分かれる。向かって左より第一龕、第二龕、第三龕、第四龕と名付けられている。
第三龕と第四龕は、鎌倉時代の追刻とみられている。
第一龕と第二龕は、ともに如来坐像3体を配置し、第一龕はさらに脇侍菩薩立像2体を配置している。
第一三龕と第二龕の間には愛染明王坐像がある。
第三龕は、金剛界大日如来坐像を中心に、その左右に1体ずつの如来坐像、さらに左右に1体ずつの菩薩立像を配置している。
第四龕は、左脚を踏み下げて坐す地蔵菩薩像を中心に、その左右に十王像を配置している。
山王山石仏群
山王山石仏群は、全3体で、一丈六尺(約4.8 m)の如来坐像を中心に、その左右に小さめの如来坐像1体ずつを配置している。
古園石仏群
古園石仏群には、13体の像がある。金剛界大日如来坐像を中心として、その左右にそれぞれ如来像2体、菩薩像2体、明王像1体、天部像1体を配置している。
諸説あるが、金剛界曼荼羅を表したものとする説がある。
奇絶峡・摩崖三尊大石仏
【和歌山県】
奇絶峡【きぜつきょう】は、田辺市の会津川の上流にある渓谷で、ユニークな形をした大小無数の奇岩がいたるところに点在しており、四季折々の渓谷美をみることができる。
駐車場近くの道路脇から川向こうの山を見上げると巨大な一枚岩(高さ16m、幅22m)に刻まれた「磨崖三尊大石仏」の一部を見ることができる。何故、こんな場所に摩崖仏を彫ったのであろうか?