はじめに
NHK大河ドラマのファンの一人である私は、2024年度のNHK大河ドラマ『光る君へ』も毎回楽しみに視聴した。この大河ドラマは、平安時代中期を舞台に、『源氏物語』の作者として有名な紫式部の生涯を描く物語であった。主役の紫式部を演じるのは女優の吉高由里子さんであり、魅力的な俳優が多数出演していた。
タイトルの「光る君」とは、『源氏物語』の主人公・光源氏と、そのモデルの一人とされた藤原道長を指しているとされる。脚本家の大石静さんは、紫式部と藤原道長の関係や、平安王朝の権力闘争や恋愛などを描きたいとインタビュー記事で語っていた。
紫式部と同時代を生きて、紫式部と同様に文才を発揮した女性に清少納言がいる。そして彼女たちより少し遅れて和泉式部が登場する平安時代中期とはどんな時代であったのか非常に興味が湧いた。NHK大河ドラマでも平安時代中期を一年間にわたって描くのは初めてではなかっただろうか。どんな時代であったのかをNHK大河ドラマを通じて少しではあるが理解できたのは良かった。
少しは自分でも学習をした方が理解も深まるのではないかと思い、日本の歴史を扱った本を読み返してみたが、平安時代は貴族社会であり、政治や文化は貴族の生活に関したものしか収載されていない。ごく一部の貴族の生活が日本人全体の生活を代表しているはずもなく、日本人の多くは貧困に苦しんでいたことだろうと思う。NHK大河ドラマでは、そのあたりの状況も描いてくれることを私は期待していたのである。
平安時代中期とは
平安時代は、日本の歴史の時代区分の一つで、西暦794年から1185年までの約400年間を指す。この時代の都が平安京(現在の京都市)であったことが時代名の由来である。
そして、平安時代中期は、西暦894年から西暦1068年までの約150年間を指す。平安時代中期は、日本の歴史において文化的な黄金期とされている。この時代は、遣唐使の廃止により中国の影響が薄れ、日本独自の文化が花開いた国風文化の時代でもある。
政治
平安時代は、藤原氏による摂関政治が展開され、特定の権門が独占的に徴税権を得る荘園が増加した時代である。
特に平安時代中期は、藤原氏の全盛期であり、摂関政治を主導した。藤原良房の一族が天皇の外威となり、要職を独占して、政治実権を独占した時代でもあった。
このように藤原氏が権力を握り、摂政や関白として天皇を補佐する形で政治を支配した。この時期は藤原道長や藤原頼通などが活躍し、貴族社会が繁栄した。
一方、都から遠く離れた地方では武士階級が台頭し始め、中央の貴族社会との対立が徐々に顕在化していく時代でもある。この動きは、後の鎌倉時代への布石となって時代は移っていく。
文化
平安時代初期は唐風文化がもてはやされていたが、平安時代中期になると国風文化が栄えた。日本独自の文化が成熟し、和歌や物語文学が盛んになった。
紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』に代表される名作と称される文学作品が世に出た時代である。
また、寝殿造などの建築が発展した時代でもある。
宗教
平安時代には山岳仏教の発展が見られ、伝教大師・最澄は比叡山に延暦寺を、弘法大師・空海は高野山に金剛峯寺を開いた時代である。最澄や空海によって主導される密教が中心であり、加持祈祷が頻繁に行われたことも特徴的である。
また、仏教が広まり、浄土信仰が一般庶民にも浸透した時代である。
貴族の暮らし
平安時代の貴族は、仕事と遊びをバランスよく楽しむ生活を送っていたと言われている。この時代に上級貴族に生まれてさえいれば、生活にも困らず、恵まれた一生を送れたかも知れない。
平安時代の上級貴族は、寝殿造【しんでんづくり】と呼ばれる特別な屋敷に住んでいたという。
寝殿造は、南向きの縁起の良い、あるいは日当たりの良い好立地に寝殿を配置し、そこに家長となる男性が主に暮らす構造であったらしい。
寝殿造とは、一町四方の築地塀【ついじべい】に囲まれた敷地の真中に、東西棟の寝殿(主殿)を中心に建て、その東西にそれぞれ南北棟の対の屋【たいのや】を配置して、その間を渡殿【わたどの】や透渡殿【すきわたどの】でつないでいた。いわゆる渡り廊下に相当する建物である。また、池での月宮釣り(夜間に行う釣り)を楽しむための釣殿が設置され、情緒あふれた庭を楽しむことができたという。当時の寝殿造は、現代においては文化遺産として残されている。
貴族たちは寝殿造りの邸宅に住み、十二単をまとい、雅な生活を送っていた。宮廷では和歌の詠み合いや絵巻物の制作が行われ、芸術が隆盛を極めた時代である。
平安時代の貴族は、現代の政治家や公務員に相当し、宮中で仕事をすることが多かったという。仕事は午前中に終了し、午後は自由に過ごすことができたという。つまり貴族の多くは1日3時間ほどだけ仕事をしたらしい。仕事というのは、宮中で国政に関わる事務的な雑務をこなしていたという。
そして短い仕事の後は自由時間(主として遊び)を楽しんでいたという。貴族たちは体を動かす遊びが好きであったらしい。特に小弓(射的)や蹴鞠が人気であったという。他には和歌を詠んだり、舟遊びに興じるなど本当にゆったりした生活を送っていたらしい。優雅と言えば、優雅ではある。しかし、人によっては退屈な人生であったかも知れない。その考えは、私の個人的な感覚からのものであって、当時の多くの民衆からすれば憧れでもあったかも知れない。
平安時代の貴族の服装は、男性は「束帯」、女性は「裳」が正装であった。しかし、男性は「狩衣」、女性は「小袿」などの略装もあったようだ。
平安時代の貴族たちは、一般的には非常に優雅な生活を送っていたようだ。ただし、これらの情報は一般的なものであり、個々の貴族の生活はその人の地位や性格、好みなどにより当然ながら異なっていたはずである。
NHK大河ドラマ『光る君へ』の作中でも語られているように、優雅な生活は一部の上級貴族だけであり、下級貴族の多くはそれほど恵まれた生活をしていなかったのかも知れない。
平民の暮らし
一方、庶民(平民)は、貴族のようなゆったりとした生活を送れるはずは全くなかった。租庸調と呼ばれる税金がかけられていたため、庶民はその税金を納めることで手一杯であり、生きるか死ぬかと境目で必死に生きていたと言われている。
平地式の住居に住み、活動的な衣服を着て、質素だが栄養のバランスの良い食事をとっていたとされる。
平安時代というと貴族中心の時代のようなイメージであるが、貴族と呼ばれる人達は人数的にはごく一握りであり、大多数は平民として生きていた。平民と貴族との間には大きな生活の格差が存在していた時代である。貴族として生まれるならまだしも、平安時代に平民として生まれることは避けたいと皆思っていたのではあるまいか。
活躍した女性作家たち
平安時代中期は、紫式部、清少納言、和泉式部といった女性作家たちが文学や宮廷文化の中心で活躍した時代でもあり、日本文学が大いに発展した時代である。彼女たちの作品は、現在でも日本文学の重要な遺産として評価されている。
紫式部
紫式部【むらさきしきぶ】 は、今から約一世紀前の10世紀末から11世紀初頭にかけて活躍した女性作家で、『源氏物語』の作者として有名な女性である。

代表作の『源氏物語』は、平安時代中期の文学作品で、54帖にも及ぶ「世界最古の長編小説」とされる。
清少納言
清少納言【せいしょうなごん】は、平安時代中期の作家・歌人で、随筆『枕草子』の作者として知られている。清少納言は一条天皇の中宮定子に仕え、「宮廷の才女」と称されたらしい。
清少納言が活躍したのは、966年から11世紀初頭にかけてと言われているので、ほぼ紫式部と同時代である。
代表作の『枕草子』は、清少納言が中宮定子に仕えていた時の体験や感想などを書いた作品であり、「日本最古の随筆」あるいは「世界最古のエッセイ文学」とも言われている。
また、『枕草子』は、『方丈記』(鴨長明)や『徒然草』(兼好法師)と並んで、日本三大随筆の一つにも選ばれている。
和泉式部
和泉式部【いずみしきぶ】 は、平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙の一人に数えられている。名前の「和泉式部」は、父の官名と夫の任国を合わせたものとされる。
和泉式部の代表作とされるのは『和泉式部日記』である。彼女自身によって記された日記であり、「女流日記文学の代表的作品」とされる。
和泉式部が活躍したのは、978年頃からと言われているので、紫式部や清少納言よりも少し後である。
あとがき
紫式部らが生きた平安時代中期を知ることは、リベラルアーツの学習に非常に役立つ。この時代は文学や文化、社会構造など多くの視点から学べる宝庫であり、リベラルアーツが目指す多角的な視点と幅広い教養の形成に大いに貢献するはずである。
リベラルアーツは、特定の知識に留まらず、文学、歴史、哲学、芸術などの複数の分野を横断的に学び、広い視野と深い洞察を得ることを目指す。平安時代中期のような時代を探求することは、まさにこうした学びの実践と言えるかも知れない。
- 文学と表現
- 紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』は、世界でも評価される文学作品
- これらの作品を通じて、平安時代の美意識や感情表現、和歌文化を深く学ぶことができる
- 歴史と政治
- 摂関政治が隆盛を極めた時期で、藤原氏を中心とした政治や宮廷社会の動きは、権力の構造や政治史を理解する上で重要
- こうした権力構造が文化や人々の生活に与えた影響を考えるのも興味深い
- 文化と美意識
- 平安時代特有の「もののあはれ」や「雅」の概念は、美学や哲学の研究に活用できる
- この時代の美意識は、絵巻物や建築、和歌など多くの芸術分野に表れている
- ジェンダー視点
- 女性作家が活躍した時代であり、紫式部や清少納言、和泉式部らの作品から、当時の女性の役割や社会的地位についての理解を深めることができる
- 女性たちがどのように自己表現を行っていたかを考察することは、現代のジェンダー論にも通じる
- 多文化的理解
- 平安時代中期は、唐文化の影響を受けながらも、日本独自の国風文化を発展させた時期である
- この独自性を追求した動きは、異文化交流や適応の観点から学ぶことができる
平安時代中期は、華やかな宮廷文化と社会の変化が交錯する時代であったことが理解できた。一方で、平安時代中期は、ある意味で格差社会と呼べる側面を持っていたのは確かなようである。この時代の社会構造には、貴族と庶民の間に大きな経済的・文化的な格差が存在していた。
貴族社会の特徴
- 貴族は官位制によって厳密に階級が分けられており、上流貴族(上達部)から下流貴族(殿上人)まで、収入や生活水準に大きな差があったとされる
- 藤原道長のような権力者は莫大な富を持ち、贅沢な生活を送っていた
- 一方で、同じ貴族でも下級官人は収入が限られており、生活に苦労することもあった
庶民との格差
- 貴族は豪華な寝殿造りの邸宅に住み、十二単をまとい、宴席では数十品もの料理を楽しむことができた
- 一方、庶民は質素な竪穴式住居に住み、主食は麦や粟などで、贅沢な食材や衣服とは無縁の生活を送っていた
このように、平安時代中期は貴族と庶民の間だけでなく、貴族内部でも格差が顕著であったため、格差社会と呼ぶことができる。
私たちが生きる現代も格差社会と呼ばれることがある。現代社会と平安時代中期の格差社会を直接比較するのは難しいが、両者には共通点と相違点がある。だから歴史的な視点から考察する余地はある。
共通点
- 格差の存在
- 平安時代中期では貴族と庶民の間に圧倒的な格差があった
- 現代では富裕層と低所得者層の経済的格差が問題となる
- 教育と文化へのアクセス
- 平安時代では貴族が文化的資源や教育を独占していた
- 現代でも、高度な教育や医療へのアクセスには格差がある
相違点
- 機会の多様性
- 平安時代中期は身分制度が厳格で、庶民が上流社会に進む道はほぼ閉ざされていた
- 現代では社会的な階層を越える機会が存在し、特に教育やテクノロジーによって、多くの人が自己実現の道を見つける可能性がある
- 経済の規模
- 平安時代中期の経済は貴族の支配下にあった
- 現代ではグローバル化や多様な経済活動によって分散されているため、格差の影響もより広範に及んでいる
現代の格差社会は、個人の選択肢や声を反映する仕組みが存在するため、改善の余地がある。そのため、平安時代中期のような固定的な構造とは異なると言える。しかし、格差の根本的な問題が今も解決されていないことは共通しており、歴史から学べる部分も多いはずである。
【参考資料】
与謝野晶子訳『新訳源氏物語』 |