はじめに
全国各地の恵比寿神社【えびすじんじゃ】あるいは蛭子神社【ひるこじんじゃ】は、えびす、ヒルコ、あるいは事代主命【コトシロヌシノミコト】を御祭神とする神社で、全国で 約1,500社もあるという。
御祭神がイザナギとイザナミの間の子である蛭子【ヒルコ】であるとされることや、出雲の大国主命の子である事代主命とされるのは日本神話が成立する過程で恵比寿神と結び付けられるようになったためと考えられている。
恵比寿神とは、元々は海の神で、海岸に流れ着いた見慣れないものを「えびす」と呼んで、それを海の神からの贈り物として祀る習慣が起源とされる。ここから、豊漁、ひいては商売繁盛の神として現在に至っている。
<目次> はじめに 美保神社【島根県】 今宮戎神社【大阪府】 西宮神社【兵庫県】 |
美保神社【島根県】
美保神社(島根県松江市)は、事代主神(えびす神)を祀る神社の総本社である。
天平5年(733年)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927年)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には美保神社が鎮座していたと推測できる。
境内地からは4世紀頃の勾玉の破片や、雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土しており、古墳時代以前にも何らかの祭祀がこの地で行われていたと考えられている。
御祭神は、事代主命【コトシロヌシノミコト】と三穂津姫命【ミホツヒメノミコト】 である。
事代主命は、大国主神の第一の御子神であり、鯛を手にする福徳円満の神、えびす様として知られる。
「海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲(音楽)、学業」の守護神として篤く信仰されている。
また、出雲神話・国譲りの段において御父神・大国主神より大変重要な判断を委ねられた尊い神様であると伝わる。
一方、三穂津姫命は、高天原の高皇産霊命の御姫神で、大国主神の御后神である(但し、事代主命の母神ではないようだ)。
三穂津姫命は、高天原から稲穂を持ってお降りになり、人々に食糧として配り広められた神様で「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神として篤く信仰されている。また、美保という地名はこの神の御名に縁があると伝えられている。
美保関は、古より海上交通の関所で北前船をはじめ諸国の船が往来し、港として栄えた場所であったという。
「関の明神さんは鳴り物好き、凪と荒れとの知らせある」と、船人の口コミで広く伝えられたらしい。船人の美保神社に対する信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願の為、さまざまな地域から夥しい数の楽器が奉納され、この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
奉納鳴物のなかには、日本最古のオルゴールやアコーディオン、鳥取城で登城の時を告げていた直径157cmにもなる大鼕、島原の乱で戦陣に出されたと伝わる陣太鼓、初代荻江露友が所有していた三味線など名器や珍品も数多く含まれている。
鳴物奉納の信仰は、現代においても続いており、平成4年には明治の初頭以来途絶えていた「歌舞音曲奉納」を100年ぶりに復活させている。
一流の演奏家が神前に向かって(聴衆に背を向けて)演奏し、聴衆は一切の拍手をしないという独特の音楽祭が開催されたらしい。
今宮戎神社【大阪府】
今宮戎神社(大阪市浪速区)の御祭神は、事代主命、天照皇大神・外三神である。
今宮戎神社の創建は、皇紀1260年(西暦600年)推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立するに当り、同地西方の守護神として鎮齋せられ、市場鎮護の神として祀ったのが起源と伝えられている。
左脇に鯛、右手に釣竿をもった戎さまの姿は、元々漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴している。
今宮戎神社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中期より朝役として一時中断があるものの宮中に鮮魚を献進していたという。
このような海辺で物資の集まりやすい土地では、海の種々の産物と里の産物、野の産物とが物物交換される、いわゆる「市」が開かれるが、今宮戎神社でも四天王寺の西門に「浜の市」が平安後期には開かれるようになった。その市の守り神としても今宮戎神社の戎さまが祀られるようになったと伝えられている。
時代が経るに従い、市場の隆盛は商業を発展させるので、いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになった。
室町時代以降、庶民の信仰はより厚くなり、また大阪の町も発達し、大阪町人の活躍が始まった。
江戸時代になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになった。
十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、さらに元禄期になると十日戎の祭礼を彩る宝恵籠の奉納も行われるようになり、今日と同じような祭礼となった。
現在では、1月9・10・11日の三日間の祭礼で約100万人の参詣者があり、大変な賑わいをみせている。
西宮神社【兵庫県】
西宮神社(兵庫県西宮市)は、ヒルコ神系のえびす神社の総本社である。
本殿は、三連春日造【さんれんかすがづくり】と云う珍しい構造をしている。
江戸時代寛文三年(1663年)に四代将軍家綱の寄進になる国宝の本殿は、昭和20年の空襲により烏有に帰してしまったが、昭和36年に桧皮葺から銅板葺に変わった他は、ほぼ元通りに復興され、現在では銅屋根も古色を帯び、えびすの杜(兵庫県指定の天然記念物)を背景に佇んでいる。
御祭神は、 えびす大神(蛭児大神)、天照大御神、大国主大神、須佐之男大神である。
天照大御神、蛭児大神、須佐之男大神の三神は日本書紀本文によれば兄弟神と伝えられている。
大国主大神は式内社・大国主西神社が西宮であるとの謂れから、 明治になって配祀されるようになったと考えられている。
西宮のえびす大神は、古くは茅渟海(ちぬのうみ)と云われた大阪湾の、神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていたが、御神託によりそこから西の方、この西宮にお遷し、祭られたのが起源と伝えられている。
この鎮座の年代は明らかではないが、戎(えびす)の名は平安時代後期には文献に度々記載されている。
この西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として、灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになった。
現在では「十日えびす」には百万人に及ぶ参拝者で賑い、阪神間最大の祭として全国に知られている。