はじめに
三重塔は、仏教の祖である釈迦の舎利(遺骨)をおさめる仏塔の形式の一種である。
五重塔も仏塔の形式の一つで、層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち五重の屋根を持つものを指す。下層階から順に地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)を意味し、それぞれが5つの世界(五大思想)を示しており、仏教的な宇宙観を表しているとされる。
日本各地の仏教寺院や神社などに木造の三重塔や五重塔がある。日本の木造三重塔や五重塔は、いわゆる三階建や五階建ではなく、内部は軒を支えるために複雑に木組みがなされており、上層階に登ることを想定した建築物ではない。(引用:ウィキペディア)
多宝塔も仏塔における形式の一つである。現代の寺院建築用語としては、一般に方形(四角形)の初層の上に円形の上層を重ね、宝形造(四角錐形)の屋根を有する二重塔を「多宝塔」と呼称する。
狭義には初重が方三間(一辺に柱が4本立ち柱間が三間あるの意)のものを「多宝塔」と称し、方五間のものを「大塔」と称する。
多宝塔の初重内部は須弥壇を設け仏像を安置するのが原則で、大日如来を本尊として安置する例が多い。多宝塔は主に真言宗系の寺院で見られるのも特徴である。
天台宗系には初重・上重とも平面方形の二重塔があるが「二重塔」と称している。(引用:ウィキペディア)
仏塔は寺院のシンボルになっているばかりかランドマークになっている場合もある。
ある寺院を参拝した際に本堂よりも先にシャッターを押しているのは大抵仏塔の方である。
そんな魅力的な仏塔の写真を集めてみた。尤もデジタルカメラで撮ったものだけなので数は少ないが、仏塔の魅力を伝えたいと思う。
<目次> はじめに 高野山・根本大塔【和歌山県】 金剛三昧院・多宝塔【和歌山県】 根来寺・大塔【和歌山県】 壺坂寺・三重塔【奈良県】 醍醐寺・五重塔【京都府】 名草神社・三重塔【兵庫県】 潮聲山耕三寺・五重塔【広島県】 天寧寺・三重塔【広島県】 厳島神社・五重塔【広島県】 厳島神社・多宝塔【広島県】 瑠璃光寺・五重塔【山口県】 八栗寺・多宝塔【香川県】 龍原寺・三重塔【大分県】 |
高野山・根本大塔【和歌山県】
高野山【こうやさん】(和歌山県伊都郡高野町高野山)は、平安時代に嵯峨天皇から下賜された土地で、弘法大師・空海が修禅の道場として開いた真言密教の聖地である。
尚、高野山という地理学上の山は存在せず、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが広がった土地である。
高野山には117の寺院が存在しており、その総本山が金剛峯寺である。しかし、興味深いことに総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指すという。
これは「一山境内地」というものらしく、高野山全域が寺の境内地とされ、境内の中に発展した町であって、元来は高野山全体と総本山金剛峯寺は同義であるらしい。
ちなみに金剛峯寺の本堂は、壇上伽藍に位置し、「金堂」と呼ばれる一山の総本堂である。高野山の重要行事のほとんどはこの金堂で執り行われている。
金堂をはじめ19もの諸堂が立ち並ぶ壇上伽藍でシンボル的な存在であるのが「根本大塔」である。高さは48.5 mもある壮大な多宝塔である。
根本大塔は、真言密教の教えを体現する象徴として建てられた多宝塔で、塔内には立体の曼荼羅世界が広がっている。
御本尊は大日如来で、周りには金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれている。堂内自体が立体の曼荼羅として構成されている。
金剛三昧院・多宝塔【和歌山県】
金剛三昧院(和歌山県高野町高野山425)は、尼将軍と呼ばれた北条政子が夫の源頼朝と息子の実朝の菩提を弔うために建立した寺院である。
御本尊の愛染明王【あいぜんみょうおう】は、恋愛成就の仏として様々な縁を結んでくれるといわれている。
金剛三昧院の多宝塔は、北条政子が源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めたときに造営することになったものである。
建立は貞応2年(1223年)と伝えられ、高野山で現存する建造物の中では最も古いものである。多宝塔の内部には須弥壇が設けられ、その前には秘仏・五智如来像【ごちにょらいぞう】(仏師運慶作・重要文化財)が安置されている。この多宝塔の高さは約15 m、屋根の一辺は約9 mである。
金剛三昧院は、多宝塔(国宝)をはじめ経蔵(重要文化財)や四所明神社など数々の歴史的文化財を擁しており、高野山が世界遺産として登録される際、根幹となる寺院として重要な役割を果たした。
根来寺・大塔【和歌山県】
根来寺(岩出市根来2286)は、高野山の学僧でもあった覚鑁【かくばん】上人(興教大師)によって開創された新義真言宗の総本山である。
開山以来、約900年の伝統を誇る。中世のたたずまいを残し、興教大師の御廟を守り続けている
広大な境内(約350万m2)には、国宝の大毘廬遮那法界体性塔【だいびるしゃなほっかいたいしょうとう】(通称、大塔)や重要文化財に指定されている大伝法堂、大師堂、大門(仁王門)、不動堂、光明殿、行者堂、聖天堂など多くの伽藍が立ち並ぶ。
なかでも日本最大の木造の大塔は、シンボル的存在である。高さは40 mもある壮大な多宝塔である。真言密教の教義を形の上で端的に表現したものであり、真言宗では「金胎不二」の精髄を示す塔として最も重要とされる。
壺坂寺・三重塔【奈良県】
通称、壺坂寺【つぼさかでら】と呼ばれる壷阪山南法華寺は、大宝3年(703年)に法相大徳弁基上人の開基で創建された名刹である。36堂60余坊の大伽藍であった古刹は、4回もの火災で焼失しており、現在の建物は文政10年(1827年)に再建されたものであるという。
三重塔は礼堂と共に、国の重要文化財である。
醍醐寺・五重塔【京都府】
醍醐寺(京都市伏見区醍醐東大路町)は、真言宗醍醐派の総本山の寺院であり、御本尊は薬師如来である。
京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵する寺院として知られる他に、豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地として有名である。世界遺産にも登録されている。
醍醐寺の五重塔は、醍醐天皇の冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天暦5年(951年)に完成したもので、京都府下では最古の木造建造物である。塔内の壁画は、日本密教絵画の源流をなすものといわれている。総高は約38mで、塔頂部の相輪の高さは約13mと塔全体の約3分の1を占めている。
名草神社・三重塔【兵庫県】
名草神社(兵庫県養父市八鹿町石原1755-6)は、妙見山(標高1139m)の中腹(標高800m)に位置する。
古くは「妙見社」と称しており、近世の但馬地方における妙見信仰の拠点として栄えた。名草神社の本殿、拝殿、三重塔の建造物は、共に国の重要文化財に指定されている。このような所は北近畿では名草神社以外にはない。
名草神社の三重塔は、出雲大社の大改修に際し、太くて立派な妙見杉を提供した返礼として寛文5年(1665年)に出雲大社にあった三重塔が贈られたものである。
塔の高さは約23mもある。三重塔の三層目の軒には、4匹のサル(猿)の彫刻がある。「見ざる・言わざる・聞かざる」に加えて「思わざる」がいることを後から知った。
4番目の彫刻の写真がないためにどれが「思わざる」であるか判別がつかず、本当に残念なことをした。事前によく調べてから参拝すべきであった。
潮聲山耕三寺・五重塔【広島県】
耕三寺(尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2)は、浄土真宗本願寺派の寺院で、山号を潮聲山、寺号を耕三寺という。
耕三寺耕三氏(技術者・実業家)が母親の死後、母への報恩感謝の意を込めて、自ら僧籍に入り菩提寺として1935年(昭和10年)から生涯を掛けて建立した寺院だという。
耕三寺の境内には日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び「西の日光」とも称され、「母の寺」として知られる。
耕三寺の五重塔は、奈良室生寺の五重塔をモデルにして昭和30年(1955年)11月に建立された仏塔である。この五重塔は、開山の母の納骨塔で「大慈母塔」と名付けられている。
天寧寺・三重塔【広島県】
天寧寺(尾道市東土堂町17-29)は、1367年に尾道の道円の発願により、普明国師を請して開山されたと伝わる。
足利尊氏の遺志を継いで足利義詮が工事を寄進し、創建当時は東西三町にわたる七堂伽藍を配した大寺院であったようだ。創建当時は臨済宗であったが、元禄年間(江戸時代中期)に現在の曹洞宗に転宗したという。
創建当時は大寺院であったが、室町幕府の後ろ盾がなくなったことや、火災で塔以外の全てを焼失したことにより衰退した。現在の三重塔は、五重塔の傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したもので、一際目立つ外観となっている。最初に観たときの違和感がこれが理由であったと知り、合点したのを覚えている。天寧寺の三重塔は現在では尾道の風景を代表する存在の一つになっている。天寧寺は、五百羅漢像がある羅漢堂やしだれ桜と牡丹の名所としても知られている。
厳島神社・五重塔【広島県】
厳島神社(広島県廿日市市宮島町1-1)は、島全体が神の島として崇められていたので、陸地では畏れ多いと潮の満ち引きする所に社が建てられたという。
日本三景の一つ「安芸の宮島」として知られ、平成8年(1996年)に世界文化遺産に登録されて、現在に至る。
応永14年(1407年)建立の五重塔は、桧皮葺で和様・唐様を融合した壮麗な建造物(総高27.6m)である。心柱が2層目で止まっているのが特徴で、風に対して強い構造となっているという。
厳島神社・多宝塔【広島県】
多宝塔は、大永3年(1523年)に建立され(総高は15.6m)、薬師如来像が祀られていたが、明治維新の神仏分離令で大願寺に移されたという。仏塔自体は、現在、嚴島神社に帰属している。
宮島のシンボルともいえる嚴島神社は、1168年に平清盛の厚い信仰のもと現在の規模に造営された。
海をも含む敷地内には本社を中心に大小の各神社、舞台や楽房などが設置され、そのそれぞれは延長108間に及ぶ廻廊で結ばれ、独創的な配置構成を見せる。
朱塗り・桧皮葺の屋根、 スッキリとした軒廻りなど、随所に平安朝の建築美(寝殿造り)が生かされ、そのすばらしさには誰もが感動する。(引用:安芸の宮島観光ガイド公式HP)
瑠璃光寺・五重塔【山口県】
瑠璃光寺(山口市香山町7-1香山公園内)は、元々は大内義弘によって香積寺として創建され、さらにその菩提を弔うために大内盛見によって五重塔が建立された。
江戸時代当初、香積寺は毛利輝元によって萩へ移築されたが、山口の住民の嘆願があり五重塔のみが残された。仁保の瑠璃光寺が1690年に現在地に移り、現在に至る。境内は「香山公園」として整備されている。
瑠璃光寺の五重塔(国宝)は、全国有数の美しさで、毎夜ライトアップもあり、山口市のシンボル的存在になっている。
五重塔としては日本で10番目に古く、高さは31.2mで、屋根は檜皮葺である。二層にのみ回縁【まわりえん】がついているのが特徴である。
初重には日本の仏塔では唯一となる円型の須弥壇があり、僧形の大内義弘像と阿弥陀如来像を祀っている。大内文化の最高傑作といわれる。
八栗寺・多宝塔【香川県】
八栗寺(香川県高松市牟礼町)は、五剣山(標高375m)の中腹に位置する、真言宗大覚寺派の寺院で、天長6年(829年)弘法大師・空海により開創された。
大師が入唐求法の成否を占うため植えた八個の焼き栗が、帰朝後すべて生長繁茂していたことから「八国寺」から「八栗寺」へ改名したという。
八栗寺の多宝塔は、昭和五十九年(1984年)、大師入定1150年の御恩忌に建立された。朱塗りの鮮やかな三面四面の総桧造りの鎌倉様式の建物で、本尊は金剛界大日如来(仏師・松久宗琳作)である。
多宝塔の内部には尊勝曼荼羅、八祖大師、十二天が極彩色で描かれている。多宝塔には写経が納められ、正月三が日に開扉される。
龍原寺・三重塔【大分県】
龍原寺(大分県臼杵市福良平清水134)は、浄土宗総本山知恩院末の寺院で、慶長五年(1600年)に円誉上人が開山したという。
豊後臼杵藩初代藩主であった稲葉貞通は円誉上人の高徳を感じ翌年の慶長六年(1601年)に龍ヶ渕(現在地の旧名称)に寺院を創建したのが始まりとされている。
境内にある三重塔は、臼杵の宮大工であった高橋団内が作図し、彼の弟子が完成させた仏塔である。
【参考資料】
高野山真言宗 総本山金剛峯寺【公式サイト】 |
根本大塔 | 和歌山県公式観光サイト |
世界遺産高野山 金剛三昧院【公式サイト】 |
世界遺産 京都 醍醐寺【公式サイト】 |
名草神社 | やぶ市観光協会【公式サイト】 |
天寧寺 | 尾道 七佛めぐり【公式サイト】 |
耕三寺 – 瀬戸田 耕三寺博物館【公式サイト】 |
国宝・世界遺産 嚴島神社【公式サイト】 |
五重塔|宮島観光協会【公式サイト】 |
瑠璃光寺五重塔(香山公園)【公式サイト】 |
山口市観光情報サイト /瑠璃光寺 |
五剣山観自在院・八栗寺【公式サイト】 |
龍原寺(大分県臼杵市)【公式サイト】 |
龍原寺三重塔 | 臼杵市観光協会【公式サイト】 |