はじめに
私は喫煙はしないから喫煙者の気持ちを100%理解することは多分不可能であると思う。しかしながら、実は私も大学に入学したての頃、入部していたワンダーフォーゲル部(略して、ワンゲル部)の先輩に勧められて喫煙を始めたときがある。
ワンゲル部が山行(登山のことをワンゲル部ではこのように呼ぶ)に行った、山行の途中で小休憩をとるが、この小休憩のことは「一本」と呼ばれた。その名は、タバコを1本吸い終える時間が由来となっている。おおよその時間は5分から10分と言ったところである。ちょっと長めの休憩をとりたい場合には「二本」とか「三本」とかと呼ばれた。今から思うとすごく時間管理としては曖昧であり、タバコを吸わない者からしたらいい迷惑である。
私も20歳になったのを機会に先輩の真似をしてタバコを吸い始めたが、その期間は一カ月と続かなかった。理由は、トレーニングで日課となっていた4kmのランニングが喫煙をすると余計にきつく感じられたからである。
私が先輩の真似をしてタバコを吸い始めた理由は非常に単純で、タバコを吸う先輩の姿が喫煙のときだけ妙に大人びいていて単に恰好良く見えたりしたからである。今と違って、かつては公衆の面前での喫煙もOKであった時代である。大人の男ならタバコぐらい吸うといった時代の話である。
喫煙が自分には合わないと分かった以上、吸い残したタバコは同級生に貰ってもらった。こうして私の喫煙体験は短期で終了したわけであるが、私のような動機から喫煙を始め、現在も継続中であるといった愛煙家は、私と同じシニア世代は意外に多い。私の知り合いの愛煙家のほとんどが私と似たり寄ったりの動機でタバコを吸い始めた経歴の持ち主である。
何が言いたいかというと、今はタバコを吸わない私でも愛煙家の気持ちを少しは理解できる可能性を残こしているのではないかと言いたいのである。そして「喫煙者が喫煙する理由」と「愛煙家が禁煙できない理由」という一見異なる理由が存在しそうであるが、実は同じ理由であるところが禁煙を難しくしている。それが私には興味深い点であり、本稿を記す動機にもなっている。
喫煙者が喫煙する理由と、愛煙家が禁煙できない理由は同源である!
喫煙者が喫煙する理由にはいくつかの要素がある。また、同時に愛煙家(喫煙者)が禁煙できない理由にもいくつかの要素がある。そして、興味深いことに両者の理由はくしくも同じである。このことが禁煙が容易でないことの本質的な理由ではないかと思っている。つまり愛煙家にとって喫煙は、水が高い所から低い所に流れるのと同様の道理があるということである。だからと言って、見過ごせることではないが、本人たちは大真面目であると私は理解している。
ニコチン依存
ニコチンは非常に依存性が高い物質であるため、好奇心から始めた喫煙であったてもこの物質に依存してしまうことが多くなる。そして、一旦喫煙者になってしまうと、このニコチンの依存性(重篤な場合は、依存症)から抜け出すのが難しくなる。
それはニコチンの依存性には、禁断症状があるからである。喫煙家(愛煙家)は、禁断症状を避けるために喫煙を続けることが一般的である。そして、一旦、禁煙を決意したとしても、禁断症状を避けるために再びタバコを手にしてしまうことが多い。これが禁煙をする上で、喫煙家を苦しめている最大の原因であると推察する。
ストレス解消/ストレス管理
喫煙家(愛煙家)の一部の人はストレスや不安を和らげるために喫煙を行うという。タバコを吸うことでリラックスを感じることができるのだそうだ。私の知り合いの言い分のほとんどはこのストレス管理の一択である。
喫煙をストレスや不安を解消するための手段としていると、禁煙はストレスを増大させる原因にしかならないため、さらにストレスが付加されて、再び喫煙に戻ることが多いという。
喫煙家(愛煙家)のこの気持ちが分からないでもない。しかし、ストレス解消(ストレス管理)を喫煙で行おうとしている段階で大きな過ちを犯していると私は思う。喫煙をしてストレスが解消したと感じるの私たちの脳の一時的な錯覚でしかない。本当にストレスが解消しているわけでないので、すぐに喫煙したくなるはずである。むしろタバコが自由に吸えないとなるとそれ自体がストレスとなる。それが証拠に時間ができれば、すぐに喫煙所に向かいたくなるはずである。そして、喫煙することで、ニコチンの依存性から少し開放された気になるだけであると思う。
社交的要因
喫煙は一部の社会的状況での共通の行動となり、友人や同僚との関係を深める手段とされることがある。私が大学に入学後にタバコを吸おうとした理由もこれに該当するかも知れない。
そして一旦、喫煙者の仲間入りをすると、周囲の友人や同僚が喫煙者である場合には禁煙は特に難しくなるはずである。何故なら社交の一環としてタバコを吸うことが常態化しており、仲間意識が強くなっているからである。それがますます禁煙のハードルを高くしていると言わざるを得ない。
喫煙が公衆の面前では許されなくなった昨今、喫煙ブースには喫煙者が集まり、楽しそうにモクモクの煙の中で談笑している姿をみると落伍者(?)の私には少し羨ましくも感じられる。しかし、この仲間意識こそが禁煙の障害になっていることに気付かない限りは、喫煙の誘惑からは逃れられないであろう。
もし、この仲間内全員で禁煙をしようと決意して、助け合いながら禁煙の努力をしようとするならば、禁煙は成功するかも知れないがそうはならない。何故なら、喫煙の誘惑の方が勝り、仲間内の禁煙をご法度とするような雰囲気が必ずあるからだ。もし、禁煙を本気でしたいのなら、この仲間内を裏切り(?)こっそりと禁煙をする必要がある。しかし、この仲間内から離れない限り、禁煙は成功しないはずである。
何か言いたいかというと、禁煙をするならこの喫煙者の仲間意識を断ち切らねばならないという社交的要因をも理解する必要があるということである。禁煙が難しい理由の一つとして認識しておくべきであろう。
習慣化
喫煙者にとって喫煙は日常の一部となり、習慣的に行われることが多い。食事後や休憩時など、特定の時間や状況で喫煙する習慣が形成される。私たちシニア世代の喫煙者は、喫煙を45年以上もの長い期間にわたって日常生活の一部として固定してきた。今さら、その習慣から抜け出すのが難しい。
喫煙は健康に悪いのは頭では理解していても、身体(体質)が納得していない。肺がんやCOPDになるリスクが高いなら、もう十分に経過しているからそれらの疾患に罹患していてもおかしくない年月を過ごしてきている。今さら、禁煙したところで発症リスクが低下するわけでなないのなら、ストレスを受けない喫煙を継続したいというのが本音であろう。
この考えは、シニア世代の喫煙者(愛煙家)に多い考えであろう。シニア世代の喫煙者(愛煙家)に禁煙者が少ない理由でもある。
心理的要因
タバコを吸うことが自己イメージやストレス解消に寄与していると感じる喫煙家(愛煙家)もいることだろう。タバコを吸う行為自体が習慣化し、特定のシチュエーションや感情に結びついているため、心理的に依存してしまっている場合を心理的要因による喫煙と定義したい。
しかしながら、この心理的要因による喫煙は、実のところ喫煙家(愛煙家)のナルシスト的な側面が強いと言わざるを得ない。喫煙家(愛煙家)が喫煙を続ける理由や禁煙ができない理由は、先述したものが大半であり、心理的要因を理由にするのは喫煙理由を美化(?)しているようにしか私には見えない。
逆説的に言えば、心理的要因を喫煙理由にしている喫煙家(愛煙家)は、決意して、少し努力すれば禁煙できるのではないかと私は思う。まだ間に合う状況、つまり、ニコチンの依存性から抜け出せる可能性が高いと思う。したがって、禁煙キャンペーンのターゲットにするならこの層に絞った方が効率的であろう。
あとがき
喫煙者(愛煙家)がタバコを吸い続ける理由も、禁煙できない理由も私なりに少しは理解できたように自分では勝手に思っているが、果たして真実の理由は(本当にあるとするなら)何なのだろうか? 喫煙家にはそれぞれの理由があってのことだろう。
率直に言って、少なくともシニア世代の喫煙家に今さら禁煙を迫っても無理であると思う。日本社会全体で喫煙者数を減らしたいのであれば、未成年者や女性の喫煙を抑制するようなキャンペーンを実施した方が効率的であるし、経済的な効果も高いはずである。禁煙キャンペーンの対象者からシニア世代の喫煙家は除外した方がよいというのが私の提案(?)である。理由は無駄であると思うからである。
シニア世代の喫煙者には、禁煙を強制するのではなく、今のまま自由に寿命が尽きるまで喫煙させてあげてほしい。もし、病気を罹患すれば、それが契機となって禁煙せざるを得ない人生をシニア世代は過ごしている。それまでは自由にさせてもらいたいと思う。一旦、ヘビースモーカーになったシニアが禁煙するのは容易なことではない。それは、タバコを吸わない私ですら理解できるほどである。だから黙ってそっとしておいてあげて下さい。