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出雲大社と美保神社の両参りをすれば御利益は絶大!

はじめに

大国主命【オオクニヌシノミコト】は、日本神話で最も有名な神様の一柱であり、出雲大社の御祭神としても知られている。


大国主命の別称は非常に多い!

玉作湯神社(島根県松江市)の御祭神の一柱は、大名持神【オオナモチノカミ】であり、大国主命と同一神であることを知った。

大国主命には他にも多くの名(別称)があることが分かった。主なものだけでも下記のような多くの呼び名があり、実に驚く。

  • 大国主大神【オオクニヌシノオオカミ】(出雲大社祭神)
  • 大穴牟遅神【オオナムチ】
  • 大己貴命【オホナムチノミコト】
  • 大名持神【オオナモチノカミ】(玉作湯神社祭神)
  • 大物主神【オオモノヌシカミ】
  • 大國魂大神【オホクニタマオオカミ】
  • 八千矛神【ヤチホコ】
  • 葦原醜男【アシハラシコヲ】
  • 葦原色許男神【アシハラシコヲ】
  • 宇都志国玉神【ウツシクニタマノカミ】
  • 幽冥主宰大神【カクリゴトシロシメスオオカミ】
  • 杵築大神【キヅキノオオカミ】

大国主命は、須佐之男命【スサノオノミコト】の娘である須勢理毘売命【スセリビメノミコト】との婚姻の後に、少名毘古那【スクナビコナ】と協力して国を経営し、禁厭【まじない】、医薬などの道を教え、大物主神【オオモノヌシカミ】を祀ることによって葦原中国【あしはらのなかつくに】の国作りを完成させる。

しかし、高天原【たかあまのはら】からの天照大御神【アマテラスオオミカミ】の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者となった(このときの名を幽冥主宰大神という)。

国譲りの際にかつて須佐之男命から賜って建立した「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を修復してほしいと条件を出したことに天津神【アマツカミ】(高天原から降臨した神々の総称)が同意したことにより、このときの名を杵築大神【キヅキノオオカミ】という。(引用:ウキペディア)


興味深いことに、少名毘古那は、玉作湯神社で大国主命と共に祀られている少彦名命【スクナヒコナノミコト】と同一神である。

また、須佐之男命の娘である須勢理毘売命との婚姻がどうも大国主命国つくりを完成する起源になっているように思える。

そこで、須勢理毘売命との出会いにまつわる「根の国訪問神話」について調べてみれば、何かその手掛かりが得られると思った。そして実際に古事記や日本書紀の神代の話を調べてみて多くのことを学ぶことができた。

目次
はじめに
出雲大社と美保神社の両参り
出雲大社【島根県出雲市】
美保神社【島根県松江市】

出雲大社と美保神社の両参り

古の時代から出雲の国(現島根県)では、出雲大社美保神社の順で両方の神社をお参りする(両参りをする)と良いと伝わる。

その理由は、出雲大社の御祭神は大国主命【オオクニヌシノミコト】であり、一方の美保神社の御祭神は事代主命【コトシロヌシノミコト】(=大国主命の)と三穂津姫命【ミホツヒメノミコト】(=大国主命の)である。

つまりは出雲大社(親の神様)→美保神社(妻と子の神様)の順で両方の神社を参拝すると御利益があるわけである。両参りをすると、縁結びの効果が上がり、願いが叶いやすくなると伝わる。

出雲大社美保神社は、距離にして約70 kmも離れているが、はるか昔より出雲の国西守り神として人々から慕われてきたという歴史がある。


出雲大社【島根県出雲市】

稲佐の浜弁天島:参拝の作法として、まずは稲佐の浜で砂を採取し、その砂を出雲大社に奉納する。そして代わりの砂を出雲大社で拝領してもよい。

出雲大社の参拝方法は、2礼4拍手1礼が決まりである。一般的には2礼2拍手1礼であるが、出雲大社は他とは違うのである。この参拝方法と作法に注意して、出雲大社の各社を参拝した。

出雲大社の壮大な勢溜【せいだまり】の大鳥居

大社【たいしゃ】 という社号は、格式の高い地域信仰の中核をなす大きな神社を指す社号として知られている。かつては単に大社【おおやしろ】といえば出雲大社のことを指していた。

松の参道:広い参道の両側には松林が広がっている。

奈良時代・平安時代の昔から大社と銘記されてきた神社は、出雲大社唯一であり、大社といえば「いづもおおやしろ」のことを指していたという。主祭神である大国主命の住居が「ミヤシロ」と呼ばれていたのが由縁である。大社の本家・本元は出雲大社であることは神話の時代から歴史的に相違なさそうである。

出雲大社境内の御神像

出雲国(現島根県)が「神の国・神話の国」として知られているのは、神々を祀る古い神社が、現代においても至る処に鎮座しているからであるという。その中心が大国主命をお祀りする出雲大社であるのは誰もが納得することであろう。

銅の鳥居

荘厳な社は、古来、天日隅宮を始め、様々な名称で称えられてきたが、現在は出雲大社いづもおおやしろ】と呼ばれている。尚、出雲大社から分社した他の出雲大社は「いずもたいしゃ」と読むが、ここの出雲大社(島根県)だけは「いずもおおやしろ」と称することを覚えておこう。

神牛像【しんぎゅうぞう】と神馬像【しんめぞう】:神様の乗り物とされていて、学力向上や子宝にご利益があるとされている。牛は学力向上(鼻のあたりをなでるとよい)、神馬は子宝安産と伝わる。神牛像の頭と鼻をなでなでしてきました!

出雲大社の御祭神は、勿論、大国主命である(出雲大社のHPでは大国主大神【オオクニヌシノオオカミ】と表記されているが、ここでは大国主命で統一する)。 大国主命は、広く「だいこくさま」として慕われ、全国各地でお祀りされている。

拝殿:御本殿の手前に位置する社殿で、参拝者が拝礼するための社殿である

大国主命は、今日では広く「えんむすびの神」として人々に慕われているが、この「」は「男女の縁」だけではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄えていくための貴い「結びつき」であるという。そして、日本の悠久なる歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守られ、目に見えない「ご縁」を結んでくれているのが大国主命だと信じられてきた。

御本殿正面・八足門

大国主命が「国づくり」によって築いた国は豊葦原の瑞穂国と呼ばれ、あらゆるものが豊かに、力強く在る国であったという。

御本殿北西側

記紀による伝承では、大国主命は「国づくり」で自ら築いた国を大和朝廷の皇祖である天照大御神に還した(国譲り)したことになっている。

天照大御神は、国を譲り受けた代わりに高天原の諸神に命じて宇迦山の麓に壮大なる宮殿を造営させ、その宮殿を天日隅宮【あめのひすみのみや】と称して大国主命の住居として与えたことになっている。この神話が出雲大社の起源とされる。

素鵞社【そがのやしろ】:御本殿北側にある素鵞社の御祭神は素戔嗚尊【スサノオノミコト】で、八岐大蛇【ヤマタノオロチ】を退治したことでも有名で、天照大御神【アマテラスオオミカミ】の弟神であり、大国主命の親神でもある。稲佐の浜で採取した砂は素鵞社の左右奥側の三か所にある砂場に奉納し、代わりの砂をそこから拝領する。

大国主命には異なる神名が多くある。その一つに所造天下大神【あめのしたつくらししおおかみ】があるが、それは神代に日本人の遠い祖先たちと、喜びや悲しみを共にしながら、国土を開拓された事に由来しており、これが「国づくり」の大業と呼ばれているものである。

十九社:ここの御祭神は八百萬神【やおよろずのかみ】で、旧暦十月に全国の神々がこの出雲大社に集まるとされるが、十九社は神々の宿舎に充てられると伝わる。

大国主命は「国づくり」の作業のなかで、農耕・漁業・殖産から医薬の道まで、私たちが生きていくために必要な様々な知恵を授けられ、多くの救いを与えたことになっている。この慈愛ある御心への感謝の顕れが、それぞれの神名の由来になっていると伝えられている。

神楽殿【かぐらでん】巨大な注連縄【しめなわ】で有名な社殿で、出雲大社のシンボル的存在である。注連縄のサイズは長さ約13 m、重さ5.2トンというからその巨大さに驚く。

美保神社【島根県松江市】

美保神社の参拝方法は2礼2拍手1礼。出雲大社とは違う一般的な参拝方法である。

美保神社の鳥居

美保神社(島根県松江市)は、事代主(えびす神)を祀る神社の総本社である。天平5年(733年)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927年)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には美保神社が鎮座していたと推測できる。

手水舎

境内からは4世紀頃の勾玉の破片や雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土しており、古墳時代以前にも何らかの祭祀がこの地で行われていたと考えられている。

神門【しんもん】大きな注連縄【しめなわ】がかかっている

美保神社の御祭神は、事代主命【コトシロヌシノミコト】と三穂津姫命【ミホツヒメノミコト】である。

美保神社・拝殿(右手前から撮影)

事代主命は、大国主命の第一の御子神であり、鯛を手にする福徳円満の神、えびす様として知られる。「海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲(音楽)、学業」の守護神として篤く信仰されている。また、出雲神話・国譲りの段において御父神・大国主命より大変重要な判断を委ねられた尊い神様であると伝わる。

美保神社・本殿(背後からの撮影)

一方、三穂津姫命は、高天原の高皇産霊命【たかみむすひのみこと】 (天地開闢の時に高天原に現れた偉大な神)の御姫神で、大国主神の御后神である。三穂津姫命は、高天原から稲穂を持って降臨され、人々に食糧として配り広められた神様で「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神として篤く信仰されている。また、美保という地名は三穂津姫命の御名に縁があると伝えられている。

宮御前社【みやみさきしゃ】:宮御前社【みやみさきしゃ】、宮荒神社【みやこうじんしゃ】、船霊社【ふなたましゃ】、稲荷社【いなりしゃ】の4社(土・龜【かめ】・船・食事の神様)が合祀されている。

美保関は、古より海上交通の関所で北前船をはじめ諸国の船が往来し、港として栄えた場所であったという。「関の明神さんは鳴り物好き、凪と荒れとの知らせある」と、船人の口コミで広く伝えられたらしい。船人の美保神社に対する信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願の為、さまざまな地域から夥しい数の楽器が奉納され、この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。

美保神社・拝殿、巫女の祈り

奉納鳴物のなかには、日本最古のオルゴールやアコーディオン、鳥取城で登城の時を告げていた直径157cmにもなる大鼕、島原の乱で戦陣に出されたと伝わる陣太鼓、初代荻江露友が所有していた三味線など名器や珍品も数多く含まれているという。

美保神社・拝殿(左手前から撮影)

鳴物奉納の信仰は、現代においても続いており、1992年(平成4年)には明治の初頭以来途絶えていた「歌舞音曲奉納」を100年ぶりに復活させている。一流の演奏家が神前に向かって(聴衆に背を向けて)演奏し、聴衆は一切の拍手をしないという独特の音楽祭が開催されたらしい。

社務所の前にあった「気になる木」

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【参考資料】
出雲大社【公式サイト】
美保神社【公式サイト】