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日本神話

【日本書紀版神話】天孫ニニギとその子・海幸彦と山幸彦の物語

はじめに

「天孫降臨」を果たした後のニニギサクヤヒメを娶り、子供が生まれる話と、その子が山幸彦となり海底にある海神の宮殿を訪ねる話は大筋で古事記と同じである。

しかし、日本書紀ではその詳細について多くの伝承が記載されているので、古事記で理解できずにモヤモヤしていたところが日本書紀を読んでなるほどと合点がいったところもある。

言ってみればどうでもよい話がこれほど真剣に語られていることの方が逆に新鮮で、不思議なほどに面白いのである。

古代人と現代人では価値観が違うのは当然である。小馬鹿にしたりせずに諸説ある話を丁寧に読んでいきたいと思う。

<目次>
  • はじめに
  • 天孫降臨後のニニギ、サクヤヒメに出会う
  • イワナガヒメの呪いとは
  • サクヤヒメの妊娠を知ったニニギの発言
  • サクヤヒメ、燃え盛る産屋で出産する
  • 火闌降命(海幸彦)と彦火火出見尊(山幸彦)
  • 山幸彦、海神の宮殿へ行く
  • 山幸彦豊玉姫を娶とる
  • 山幸彦、地上の故郷に帰る
  • 豊玉姫の出産
  • 彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊と玉依姫の子
  • あとがき

天孫降臨後のニニギサクヤヒメに出会う

天照大御神の孫、天津彦火瓊瓊杵尊【アマツヒコホノニニギノミコト】(ニニギ)は、日向槵日【くしひ】の高千穂峯【たかちほのみね】に降臨した。そして、ニニギは宮殿を建てて、そこに住むようになった。

ニニギは、あるとき浜辺に出で、一人の美人を見つけ「お前は誰の娘か」と尋ねた。すると美人は「私は大山祇神【オオヤマツミノカミ】の娘で、名は神吾田鹿葦津姫【カムアタカシツヒメ】、またの名を木花開耶姫コノハナサクヤヒメ】といいます」と答えた。続けて「私の姉に磐長姫【イワナガヒメ】がいます」と言った。

ニニギが「私はお前を妻にしたいと思うがどうだろうか」と尋ねると、コノハナサクヤヒメは「どうか父の大山祇神にお尋ね下さい」と答えた。

それで、ニニギ大山祇神に「私はお前の娘を見た。妻に欲しいと思うが」と言った。

大山祇神は、それを聞いて大いに喜び、二人の娘に数多くの物を持参させて献上した。

しかし、ニニギは姉の方は醜いと思って娶らずに大山祇神の元へ送り返した。一方、妹の方は美人であるとして交合した。するとコノハナサクヤヒメは一夜で妊娠した。

別の伝承(第六)では、ニニギ吾田【あた】の笠狭【かささ】の御崎に出かけた際、長島竹島に登った。

ニニギが同行していた事勝国勝長狭に「あの波頭の立っている波の上に、大きな御殿を建て、手玉もころころと機織る少女は誰の娘か」と尋ねた。事勝国勝長狭は「大山祇神の娘たちで、姉をイワナガヒメと言い、妹をコノハナサクヤヒメと言います」と答えた。

ニニギコノハナサクヤヒメだけを召し、妊娠させた。

イワナガヒメの呪いとは

姉の磐長姫イワナガヒメ】は、大変恥じて「もし天孫が私を退けないでお召しになったら、生まれる御子は命が永く、死なずにいたでしょう。しかし、妹一人だけを召されたので、生まれてくる子はきっと木の花の如く、散り落ちてしまうでしょう」とニニギを呪った。

一説では、磐長姫は恥じ恨んで、泣き「この世に生きる青人草【あおひとぐさ】(=人民)は、木の花の如く移ろい、衰えてしまうでしょう」と呪ったとされる。これが世の人々の命が脆いことの原因であるという。

サクヤヒメの妊娠を知ったニニギの発言

コノハナサクヤヒメニニギに「私は天孫の御子を身ごもり、こっそりと出産するわけには参りません」と言った。

ニニギは「私が天津神であるからといって、どうして一晩で妊娠させられようか。 私の子ではないかも知れない」と言った。

別の伝承(第五)では、ニニギ大山祇神の娘、コノハナサクヤヒメを召され、一夜で妊娠させた。そして四人の子が生まれた。

コノハナサクヤヒメは、子を抱いてやってきて「天津神の子をどうしてこっそりと養うべきでしょうか。だから様子を知って頂きたいです」と言った。するとニニギはその子らを見て嘲【あざ】けりながら「何とまあ、私の皇子たち、こんなに生まれたとは本当に嬉しい」と言った。

コノハナサクヤヒメは、怒って「どうして私を嘲けるのですか」と尋ねた。ニニギが「疑わしいと思うから嘲った。なぜなら私がいくら天津神の子であるからといって、どうして一夜で、人を妊娠させることができようか。きっと我が子ではない」と言った。

サクヤヒメ、燃え盛る産屋で出産する

コノハナサクヤヒメは、大変恥じて、戸がない塗籠め【ぬりごめ】の部屋を作って「私の子がもし他の神の子ならば、きっと不幸になるでしよう。もし本当に天孫の子だったら、きっと無事で生まれるでしょう」と誓いを述べた。

そう言うと部屋の中に入って、火をつけて部屋を焼き、炎が燃え盛る中で出産した。

そうやって無事に生まれてきたのは三柱の神である。

  • 火酢芹命【ホノスセリノミコト】
  • 火明命【ホノアカリノミコト】
  • 彦火火出見尊【ヒコホホデミノミコト】
    (別名、火折尊【ホオリノミコト】)

別の伝承(第五)では、コノハナサクヤヒメは、ますます恨んで、 無戸室【うつむろ】を作ってその中に籠もり「私の子がもし天津神の子でなかったら、必ず焼け失せるでしょう。もし天津神の子ならば、損なわれることはないでしょう」と誓い、部屋に火をつけて焼いた。

すると、火が燃えはじめて明るくなったときに、踏み出してきた子は「我は天津神の子、名は火明命【ホノアカリノミコト】である。我が父は何処におられるのか」と自ら名乗った。

次に、火の盛んなときに踏み出してきた子は「我は天津神の子、名は火進命【ホノススミノミコト】。我が父と兄弟は何処におられるのか」と自ら名乗りをした。

次に、炎の衰えるときに踏み出してきた子は「我は天津神の子、名は火折尊【ホオリノミコト】。我が父と兄弟たちは何処におられるのか」と名乗りをした。

次に、火熱が引けるときに踏み出してきた子は「我は天津神の子、名は彦火火出見尊【ヒコホホデミノミコト】。我が父と兄弟らは何処におられるのか」と名乗りをした。

最後に、コノハナサクヤヒメが燃え杭の中から出てきて、ニニギのところへ行き「私が生んだ子と私自身は、火難にあっても、少しも損われるところがありませんでした。天孫はそれをご覧になりましたか」と言った。

ニニギは「私は最初から彼らが我が子であると知っていた。只、一夜で妊娠したことを疑う者があると思い、衆人にこの子らが私の子であり、天津神は一夜で妊娠させられることを知らせたいと思ったからだ。お前には不思議な優れた力がある。この子らにも、人より優れた力があることを明らかにしたいと思った。だから、あのような嘲りの言葉を述べたのだ」と言った。

別の伝承(第六)では、コノハナサクヤヒメは、火酢芹命【ホノスセリノミコト】と彦火火出見尊【ヒコホホデミノミコト】(別名、火折尊【ホオリノミコト】)を産んだ。

コノハナサクヤヒメの産んだ子は、ニニギの胤【たね】であることは証明されたが、コノハナサクヤヒメニニギの仕打ちを恨んで、喋ろうともしなかった。

別の伝承(第八)では、ニニギ大山祇神の娘、コノハナサクヤヒメを娶とって、生まれた子が火酢芹命【ホノスセリノミコト】と彦火火出見尊【ヒコホホデミノミコト】である。

火闌降命(海幸彦)と彦火火出見尊(山幸彦

兄の火闌降命【ホノスソリノミコト】(=海幸彦)は、もともと海の幸を得る力を備えていた。

一方、弟の彦火火出見尊【ヒコホホデミノミコト】(=山幸彦)は、もともと山の幸を得る力を備えていた。

その兄弟二人は相談し、「ためしに二人の幸を取りかえてみよう」と言った。そして実際に取り換えてみたが、それぞれの幸を得られなかった。兄は後悔して弟の弓矢を返し、自分の釣針を返してくれといった。弟はすでに兄の釣針を失っていて、探し求める術もなかった。

そこで別に新しい針を作って兄に与えた。兄はこれを承服せず、もとの針を要求した。

弟は悩んで、自分の太刀で新しい針を鍛えて、【みの】に一杯に盛って贈った。

それでも兄は怒って、「私の元の針でなければ、たくさん寄越しても受取れない」といって、さらに責めた。

別の伝承(第一)では、兄の海幸彦は、よく海の幸を得ることができ、弟の山幸彦はよく山の幸を得ることができた。

時に、兄弟は互いにその幸を取替えようと思った。そこで兄は弟の幸弓【さちゆみ】を持って山に入り、獣を求めた。しかし獣の足跡も見つけられなかった。

弟は兄の幸針【さちはり】を持って海に行き、魚を釣った。しかし何も獲るところがなかった。そしてその針を紛失した。

兄は弓矢を返して、自分の針を返せと責めた。弟は困って差していた太刀をつぶして、 針を作り【かご】に一杯盛って兄に返したが、兄はそれを受取らず「私の幸針が要るのだ」と言った。

別の伝承(第三)では、兄の火酢芹命【ホノスセリノミコト】は、海の幸を得ることができたので、海幸彦と名づけた。弟の彦火火出見尊【ヒコホホデミノミコト】は、山の幸を得ることができたので、山幸彦といった。

兄は、風が吹き雨が降る度にその幸を失った。弟は風が吹き雨が降っても、その幸が違わなかった。兄が弟に「私は試しに、お前と幸を取り替えてみたいと思う」と相談した。弟は承諾して取り替えた。

兄は弟の弓矢を持って、山に入り獣を狩りし、弟は兄の釣針をもって、海に行き魚を釣った。しかしどちらも幸を得られないで空手で帰ってきた。

兄は弟の弓を返して、自分の釣針を返すよう求めた。弟は釣針を海中に紛失して、探し求める方法がなかった。それで別に新しい釣針を沢山作って兄に与えたが、兄は怒って受け取らず、もとの針を返すよう責めた、という云々がある。

山幸彦、海神の宮殿へ行く

それで山幸彦は、憂え苦しむことが深かった。海のほとりに行って呻き悲しんでいるとき、塩土老翁【シオツツノオジ】に会った。老翁は「なぜこんなところで悲しんでいるのですか」と問うた。山幸彦は、事の始終を告げた。

老翁は「心配には及びません。私があなたのために考えてあげましょう」と言って、無目籠【まなしかたま】を作って、山幸彦を籠の中に入れ海に沈めた。すると、ひとりでに美しい小さい浜に着いた。

そこで籠を捨てて出ていくと、たちまち海神の宮【わたつみのみや】に着いた。その宮は立派な垣が備わって、高殿が光り輝いていた。門の前に一つの井戸があり、井戸の上に一本の神聖なの木があり、枝葉が繁茂していた。

別の伝承(第一)では、山幸彦は探すところも判らず、憂え悲しんで海辺に行き、たたずみ嘆いていた。すると自ら塩土老翁【シオツツノオジ】と名乗る一人の翁【おきな】が現れた。そして塩土老翁が「あなたは誰ですか。 何故ここで悲しんでいますか」と尋ねた。

山幸彦は詳しく理由を述べた。塩土老翁は袋の中の櫛をとって地に投げると、沢山の竹林になった。その竹をとって、目の荒い籠を作り、山幸彦をその中に入れ、海へと入れた。別の伝承では、
無目堅間【まなしかたま】(編み目が細かい籠)で、水の上に浮かぶ【いかだ】を作り、細縄で山幸彦を結いつけて海に沈めたともいう。

海の底にはちょうど良い小浜があった。浜伝いに進むと、海神豊玉彦【ワタツミトヨタマヒコ】の宮に着いた。その宮は城門高く飾られ、楼閣壮麗であった。

別の伝承(第三)では、このときに、弟は海辺に行き、うなだれ歩いて悲しみ嘆いていた。そのとき川鷹【かわかり】が罠にかかって苦しんでいた。それを見て憐れみの心を起こして解き放してやった。しばらくすると、塩土老翁【シオツツノオジ】がやってきて、無目堅間【メナシカタマ】の小船を作って、山幸彦をのせて、海の中に放った。

すると自然に水中に沈んだ。たちまちよい路が通じて、その路に従って行くと、ひとりでに海神の宮【ワタツミノミヤ】に着いた。

別の伝承(第四)では、兄の海幸彦は海の幸を得て、弟の山幸彦は、山の幸を得ていたとされる。弟が憂え悲しんで海辺にいたときに塩土老翁【シオツツノオジ】に会った。

塩土老翁は「何故そんなに悲しまれるのですか」と尋ねた。山幸彦はこれこれ云々と答えた。

すると塩土老翁は「悲しまれますな。私が計り事をしてあげましよう」と言った。そして、「海神【わたつみ】の乗る駿馬【しゅんば】は八尋鰐【やひろわに】です。八尋鰐【はた】を立てて橘の小戸におります。私が八尋鰐と一緒になって計り事をしましよう」と言って、山幸彦をつれて、八尋鰐に会いに行った。

八尋鰐は「私は八日の後に、確かに天孫を海神の宮にお送りできます。しかし、我が王の駿馬は一尋鰐【ひとひろわに】です。これはきっと一日でお送りできるでしょう。だから今、私が帰って彼を来させましょう。彼に乗って海に入りなさい。海に入られたら、海中に自ずから良い小浜があるでしょう。その浜の通りに進まれたら、きっと我が王の宮に着くでしょう。宮の門の井戸の上に、神聖なの木があります。その木の上に乗っていらっしゃい」と言った。そう言い終わると、すぐ海中に入って行った。

そこで、山幸彦八尋鰐の言った通りに、八日間待った。しばらくして、一尋鰐がやってきたので、それに乗って海中に入った。
すべて前の八尋鰐の教えに従った。

山幸彦豊玉姫を娶とる

山幸彦は、その木の下を歩きさまよった。しばらくすると一人の美人が、戸を押し開いて出てきた。そして立派な椀に水を汲もうとしている。山幸彦がそれを見ていると、美人は驚いて中に入って、その父母に「一人の珍しい客人がおられます。門の前の木の下です」と言う。

そこで海神【わたつみ】は、何枚もの畳を敷いて、導き入れた。
山幸彦が座につくと、海神は訪問の理由を尋ねた。山幸彦は、詳しくその理由を話した。

海神は、大小の魚を集めて問い質した。皆は、「わかりません。ただ赤目【あかめ】()がこの頃、ロの病があって来ておりません」と答えた。それで、赤目を呼び出してそのロを調べると、やはり、失くなったを見つけることができた。

山幸彦海神の娘の豊玉姫【トヨタマヒメ】を娶とり、海宮【わたつみのみや】で三年間も過ごした。

そこは安らかで楽しかったが、山幸彦にはやはり故郷を思う心があった。それで憂い、ひどく嘆いた。

豊玉姫はそれを聞き、父の海神に「天孫はひどく悲しんで度々嘆かれます。きっと郷土を思って悲しまれるのでしょう」と言った。

別の伝承(第一)では、門の外に井戸があり、井戸のそばに桂の木があった。木の下に立っていると、しばらくして一人の美女が現れた。その美女は容貌世にすぐれ、侍女を多く従えていた。

そして玉の壺で水を汲もうとして上を見ると、山幸彦がいるのを見て、驚き帰って自分の父・海神【ワタツミ】に「門の前の井戸のそばの木の下に、一人の貴人がおられます。人品が並みの人ではありません。もし天から降れば天のかげがあり、地下から上れば地のかげがあるでしょう。これは本当に妙なる美しさです。虚空彦【そらつひこ】というのでしょうか」と言った。

ある説では、豊玉姫【トヨタマヒメ】の侍者が、玉の釣瓶【つるべ】で水を汲むが、どうしても一杯にならない。井戸の中を除くと、逆さまに人の笑った顔が映っていた。それで上を見ると、一人の麗わしい神がいて、桂の木に寄り立っていた。そこで中に入ってその王に告げた、とも言われている。

豊玉姫は人を遣わして「客人はどなたですか。 何故ここにおいでになるのですか」と尋ねた。山幸彦は「私は天津神の孫です」と答えた。そしてここに来た理由を話した。

海神は迎え拝んで中に入れ、丁寧に仕えた。そして娘の豊玉姫山幸彦の妻とした。

海宮【わたつみのみや】での滞在は三年になった。この後、山幸彦がしばしば嘆いていることがあった。それで豊玉姫が「天孫はもしや、元の国に帰りたいと思っておられるのではありませんか」と尋ねた。山幸彦は「そうなんです」と答えた。

豊玉姫は父の海神に「ここにおいでになる貴人は、上つ国へ帰りたいと思っておられます」と伝えた。

別の伝承(第三)では、このとき、海神は自ら出迎え、宮殿に招き入れて、海驢【あしか】の皮八枚を敷いて、その上に座らせた。また、数多くの物を並べた机を用意し、主賓としての礼を尽した。

そしておもむろに「天孫はなぜ恐れ多くもお出で下さいましたか?」と尋ねた。ある伝承では「この頃、我が子が語りますのに、天孫が海辺で悲しんでおられるというのですが、本当かどうか分らなかったのですが、そんなことがありましたか」と尋ねたとも言われる。

山幸彦は、詳しく事の始終を述べた。そして、そこに留まり住んだ。海神は娘の豊玉姫を娶らせた。

別の伝承(第四)では、そのとき、豊玉姫の侍者が、玉の碗をもって井戸の水を汲もうとすると、人影が水底に映っているのを見て、汲みとることができず、上を仰ぐと山幸彦の姿が見えた。

それで中に入って海神に「私は、我が大王だけが優れて麗しいと思っていましたが、しかし今、一人の客を見ると、もっと優れていました」と報告した。海神がそれを聞いて「ためしに会ってみよう」と言って、三つの床を設けて山幸彦を招き入れた。

山幸彦は、入口の床では両足を拭いた。次の床では両手をおさえた。内の床では真床覆衾【まとこおうきぬ】の上に、ゆったりと座った。

海神はこれを見て、この人が天神の孫であることを知った。そして、ますます尊敬した、という云々があった。

海神は、赤女【あかめ】(=赤鯛)やロ女【くちめ】(=ぼら)を呼んで尋ねた。するとロ女はロから釣針を出して奉った。

海神は、釣針山幸彦に授けて「兄に針を返す時に天孫は、『あなたが生まれる子の末代まで、貧乏神の針、ますます小さく貧乏になる針』と言いなさい。言い終って三度唾を吐いて与えなさい。また兄が海で釣りをするときに、天孫は海辺におられて風招【かざおぎ】をしなさい。風招とはロをすぼめて息を吹き出すことです。そうすると私は沖つ風【おきつかぜ】、辺つ風【へつかぜ】を立てて、速い波で溺れさせましょう」と言った。

山幸彦、地上の故郷に帰る

海神は、山幸彦を呼んで「天孫がもし国に帰りたいと思われるならば、お送りして差上げます」と静かに語った。

そして手に入れたを渡し、「この針をあなたの兄に渡されるときに、こっそり針に『貧釣【まじち】』と言ってからお渡しなさい」と言った。

また潮満玉【しおのみちたま】と潮涸玉【しおひのたま】を授けて、「潮満玉を水につけると、潮がたちまち満ちるでしよう。これであなたの兄を溺れさせることができます。

もし兄が悔いて救いを求めたら、反対に潮涸玉を水につければ、潮は自然に引くから、これで救いなさい。このように攻め悩ませれば、あなたの兄は降参することでしょう」と言った。

まさに帰ろうとするときになって、豊玉姫山幸彦に「私はすでに孕んでいます。間もなく生まれるでしよう。 私は風や波の速い日にきっと浜辺に出ますから、どうか私のために産屋を作って待っていて下さい」と言った。

山幸彦は元の宮に帰ると、しっかり海神の教えに従った。このため、兄の海幸彦は災厄に悩まされて自ら降伏した。山幸彦は、兄の願いのままに、これを許した。

別の伝承(第一)では、海神は、海の魚どもをすべて集めて、その釣針を求め尋ねた。すると一匹の魚が「赤女【あかめ】(赤鯛)は永らくロの病いになっています。あるいは赤女がこの針を呑んだのではないでしようか」と答えた。

そこで赤女を呼んでそのロを見ると、釣針がやはり口中にあった。これをとって山幸彦に授けた。そして「釣針をあなたの兄さんへ渡されるときに、呪って言いなさい。『貧乏のもと。飢えのはじめ、苦しみのもと』といってそれから渡しなさい。また、あなたの兄が海を渡ろうとするときに、私は必ず疾風を送り波を立てて、兄を溺れさせ、たしなめましょう」と言い、山幸彦を大鰐にのせ、元の国に送らせた。

別の伝承(第三)では、二人は愛情こまやかに過され、三年も経った。帰ろうとしたときに、海神鯛女【たいめ】を召して、そのロを探られると、釣針が得られた。

海神がこの釣針山幸彦に渡すときに「これをあなたの兄に与えるときに、『つまらない針、旨く行かぬ針、貧乏の針、愚かな針』と言いなさい。言い終ったら後の方へ投げなさい」と言った。

海神は、【わに】(=サメ)を呼び集めて「天孫が今お還りなさる。お前達は何日間でお送りできるか?」と問うた。

沢山のはそれぞれに、長くあるいは短かい日数を述べた。その中の一尋鰐【ひとひろわに】は「一日でお送りすることができます」と答えた。そこで、一尋鰐に命じて山幸彦を送らせた。

また潮満玉【しおのみちたま】と潮干玉【しおひのたま】の二種の宝物を授けて「兄が高い所の田を作られたら、あなたは窪んだ低い田を作りなさい。兄が窪んだ低い田を作ったら、あなたは高い所の田を作りなさい」と玉の使い方を教えた。

海神はこのように誠を尽して山幸彦を助けた。山幸彦は帰ってきて、海神の教えの通りに実行した。その後、海幸彦は、日々にやつれていき、憂いて「私は貧乏になってしまった」と言った。
そして弟に降伏した。弟が潮満玉を出すと、兄は手を挙げて溺れ苦しんだ。潮干玉を出すと元のようになることを繰り返えされたからである。

別の伝承(第四)では、山幸彦は帰って、海神の教えの通りにした。兄が釣をする日に、弟は浜辺にいて、き【うそぶき】をした。すると疾風【はやて】が急に起こり、兄は溺れ苦しんだ。

生きられそうもないので遥かに弟に救いを求めて「お前は長い間海原で暮らしたから、きっと何かよいワザを知っているだろう。どうか助けてくれ。私を助けてくれたら、私の生む子の末代まで、あなたの住居の垣のあたりを離れず、俳優【わざおぎ】の民となろう」と言った。

豊玉姫の出産

やがて、豊玉姫は約束どおりにその妹の玉依姫【タマヨリヒメ】を引き連れて、風波を乗り越えて海辺にやってきた。豊玉姫は、産気づくと山幸彦に「私が子を生む時に、どうか見ないでください」と頼んだ。

しかし、山幸彦は我慢できなくてこっそりと行って覗いた。すると豊玉姫は出産の時に体がになっていた。

そして覗かれたことを大変恥じて「もし私を恥かしめることがなかったら、海と陸とは相通じて永久に隔絶することはなかったでしよう。しかしもう恥をかかされたから、どうしてこれから睦じくできましょうか」と言って草で子を包み、海辺に棄てて、海路を閉じてすぐに帰ってしまった。

その子の名は、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊【ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト】という。

その後、久しく経ってから山幸彦が亡くなったので、日向高屋山上陵【たかやのやまのうえのみささぎ】に葬った。

別の伝承(第一)では、これより先、別れようとするときに、豊玉姫がゆっくりと語り出して「私はもう孕んでいます。風波の盛んな日に海辺に出ておりますから、どうか私のために産屋を作って待っていて下さい」と言った。

この後に豊玉姫は、やはりその言葉の通りやってきた。山幸彦に「私は今晩、子を生むでしよう。どうかご覧にならないで下さい」と言った。

しかし、山幸彦は気になって、【くし】の先に火をつけてその明りで中を覗き見した。すると豊玉姫は大きな【わに】(=サメ)の姿になって、這い回っていた。

豊玉姫は覗かれて辱かしめられたのを恨みとし、直ちに海郷【かいきょう】に帰った。

豊玉姫は、自らの妹の玉依姫【タマヨリヒメ】を留めておいて、産んだ子を養育させた。

その子の名を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊【ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト】とした理由は、その海辺の産屋に、の羽でもって屋根を葺くのに、まだ葺き終わらぬうちに子が生まれたからである。

別の伝承(第三)では、これより前に、豊玉姫が天孫に「私は妊娠しました。天孫の御子を海の中に生むことはできません。子を生むときには、きっとあなたの所へ参ります。私のために産屋を海辺に作って待っていて下さい」と言った。

山幸彦は故郷に帰って、の羽で屋根をいて産屋を作った。
屋根をまだき終らぬうちに、豊玉姫は大亀に乗って、妹の玉依姫をつれて、海を照らしながらやってきた。もう臨月で、子は産まれる直前であった。それで屋根がき終わるのを待たないで、すぐに産屋の中に入った。

落ち着いた豊玉姫は、山幸彦に「私が子を生む時にどうか見ないで下さい」と頼んだ。

山幸彦は、心中でそのことばを怪しんで、こっそり覗いた。すると豊玉姫八尋鰐【やひろわに】に変わっていた。しかも山幸彦に覗き見されたことを知って、深く恥じ、恨みを抱いた。

子が生まれので山幸彦が行って「子の名前を何とつけたら良いだろうか?」と問うと、豊玉姫は「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊【ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト】と名付けましょう」と答えた。

そう言い終ると海を渡ってすぐに去ってしまった。そのとき、山幸彦豊玉姫を慕って詠ったという。

この後に、豊玉姫は、我が子がとても立派であることを聞いて、憐れみの心が募り、また帰って育てたいと思った。

しかし、それは義にかなわぬことなので、妹の玉依姫を遣わして養わせた。

そのとき豊玉姫玉依姫に寄せて、山幸彦に対する思慕の想いを返歌にしたという。この贈答の二首を和歌を名づけて挙歌【あげうた】という。

別の伝承(第四)では、これより先に、豊玉姫が海から出てきて、子を産もうとするときに、山幸彦に頼み事をした、という云々があった。

結局、山幸彦はこれに従わなかったので、豊玉姫は大いに恨んで「私の言うことを聞かないで、私に恥をかかせた。だから今後、私の召使いが、あなたの所に行ったら返しなさるな。あなたの召使いが、私のもとに来てもまた返さないから」と言った。

豊玉姫は、真床の布団と【かや】で産んだ子を包み、渚において海中に入った。これが海と陸との相通わないこ との始まりである。

一説には、子をに置くのは良くないからと、豊玉姫は自分で抱いて去ったという。長らくして後に「天孫の御子を海の中においてはいけない」といって、玉依姫に抱かせて送り出した。

豊玉姫は、山幸彦と別れるときに、恨み言をしきりに言った。それで山幸彦は再び会うことがないのを悟り、豊玉姫に恋慕の和歌を贈ったという。

彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊と玉依姫の子

山幸彦豊玉姫の子である山幸彦彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊【ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト】は、その【おば】である玉依姫【タマヨリヒメ】を妃とした。そして二人の間に全部で4人の男神が生まれた。

  • 彦五瀬命【ヒコイツセミノミコト】
  • 稲飯命【イナヒノミコト】
  • 三毛入野命【ミケイリノミコト】
  • 狭野尊【サノノミコト】後の神日本磐余彦尊【カムヤマトイワレビコノミコト】(=神武天皇

狭野尊は、後に天下を平定して八洲を治めたのでその名を神日本磐余彦尊に改めた。狭野尊磐余彦尊【イワレビコノミコト】という伝承もある。

彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊は、久しい後に西洲の宮【にしのくにのみや】で亡くなった。それで日向吾平山上陵【あひらのやまのうえのみささぎ】に葬られた。

あとがき

ニニギが美人の妹を選んで、不美人な姉を送り返したという逸話は古事記と同じであるが、そのためにニニギ自身や子孫に寿命ができた理由もほぼ同じである。

しかし、古事記では父親の神が怒ったためとされていたが、日本書紀では姉本人の呪いによるものとなっている。このような仕打ちをされた女性の気持ちは分からないではないが、「呪い」は勘弁してもらいたいものである。

サクヤヒメが妊娠を告げた際のニニギの対応は、日本書紀でも古事記とほぼ同様の記載であるが、日本書紀では別の伝承としてニニギの「弁明」とも「詭弁」ともいえるものまで記載されている。ものは言いようであって愉快である。

日本書紀では、海幸彦と山幸彦の物語にも諸説があって愉快であった。この物語では海幸彦がプロレス試合のヒール役のような役割で登場するが、古事記では何故、海幸彦が懲らしめられる必要があるのかと疑問に思ったものだが、日本書紀ではその理由を説明した伝承も収載していた。

山幸彦が海神の宮殿に行く物語は古事記に記載されている内容とほぼ同じであるが、伝承の諸説の中に「河鵜」を助けたり、「和邇(=サメ)」に乗って海中に入っていく記載も見受けられた。まるで「浦島太郎」伝説のルーツを読んでいるようで愉快であった。

豊玉姫が出産するシーンもその姿が竜であったり、八尋和邇であったりと諸説あるらしい。誰も本当に見たことがない話だから想像がすごい。

せめて昔の漁師に人魚に間違えられたと言われる愛らしいジュゴンであったなら奇絶するほどには驚きはしなかったはずだし、山幸彦と豊玉姫の二人が永遠の別れをすることもなかったかも知れない。

しかし二人が分かれて住むことになった本当の理由は、そうではなく、豊玉姫の頼みを聞かずに覗き見をしたことが原因であるからである。それはイザナギとイザナミの時代からの男の性なのだから許してほしいと思う。

このように日本書紀には古事記にない諸説が淡々と記載されており、登場する神様を多面的に知ることができて楽しい。

一つの確立した物語を期待する読者にとってはフラストレーションが溜まるかも知れないが、そもそも口伝で伝承されてきた神話の世界を一つにまとめることなどできはしない。

もし統一した話でまとめられていたのなら、それは編集者の作為的な見解を私達は知らず知らずに信じてしまう危険と隣り合わせにあると言ってよい。

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【参考資料】

日本書紀・現代日本語訳(完全訳) | 古代日本まとめ (kodainippon.com)