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日本神話

日本神話(古事記)に登場する神々ゆかりの神社を訪ねて

はじめに

日本の神社仏閣の多くはパワースポットになっていることを知ったが、その神社仏閣で、特に神社の御祭神について知識が欠乏していることに気付いて愕然した。

そこで、今後も日本の神社に参拝するのであれば少しは御祭神についての知識を得ておくべきだと考え、日本の神々について調べてみることにした。

日本の神々についての記述と言えば、古事記と日本書紀であるが、まずは古事記から調べていくことにした。

本記事では、日本神話に登場する神々とその神々を祀っている神社について紹介している。旅行プランに神社の参拝が含まれている場合には是非、参考にして頂きたい。


<目次>
国生みと神生み(イザナギとイナナミ)
  • 自凝島神社【兵庫県・淡路島】
  • 伊弉諾神宮【兵庫県・淡路島】
  • 三峰神社【埼玉県秩父市】
  • 熊野本宮大社【和歌山県田辺市】
  • 上色見熊野座神社【熊本県高森町】
天岩戸神話(アマテラスとスサノオ)
  • 天岩戸神社【宮崎県高千穂町】
  • 高千穂神社【宮崎県高千穂町】
天孫降臨(ニニギ)
  • 高千穂の峰と高千穂峡【宮崎県高千穂町】

国産み

悠久の昔、天と地は交じり合い混沌としていたが、やがて天と地が分かれるときが訪れ、世がはじまる。天は神々が住む、高天原という天上世界となった。

そこに万物の祖とされる造化三神が現れ、続いて神世七代の神々の時代が続いた。神世七代最後の神としてイザナギイナナミの二神が登場し、「国生み」の神話が始まる。

日本最古の史書である古事記日本書紀は、合わせて記紀と称されることもある。

イザナギは、その古事記で「伊邪那岐神」、日本書紀では「伊弉諾神」と表記される神である。

一方、イナナミは、古事記で「伊邪那美神」、日本書紀では「伊弉冉神」と表記される神である。

イザナギは、イザナミとともに日本の国土を生み出した神で、国土から自然といった世界を創り出したことから殖産振興の神として知られる。さらに歴史上はじめての禊をしたことから、厄除の神様としても知られる。

イザナミは、イザナギの妻で、多くの神々を生んだことから、子宝や安産祈願の神として信仰されている。イザナミは、「黄泉津大神(よもつおおかみ)」の別名を持ち、黄泉国(冥界)の女王という側面も持ち合わせている。

イザナギイナナミは、最古の夫婦神で、多くの神々を生み出したことから夫婦和合・縁結びの神としても知られている。

二神による「国生み」の順序は、淡路島からはじまり、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州の順に行われた。


神産み

「国生み」を終えた イザナギイナナミは、次に多くの神々を生む。しかし、イザナミは「火の神」ヒノカグツチを生んだときに火傷を負って亡くなってしまう。

残されたイザナギは、その後も神を生み、アマテラススサノオといった神々が誕生していく。彼らにはそれぞれ役割や力が与えられた。

アマテラスの登場により、神の世界は統治され、やがて地上にも「国作り」の機運が生じる。


自凝島神社【兵庫県】

自凝島神社【おのころじまじんじゃ】(兵庫県南あわじ市榎列下幡多415)の御祭神は、伊邪那岐神伊邪那美神の二神であり、夫婦和合、 安産祈願の神として知られる。 また、多くの神様を生んだことから子授かりのご利益があるとされる。

菊理媛命(キクリヒメノミコト、ククリヒメノミコト)も合祀されている。菊理媛は、泉平坂(よもつひらさか)で相争う二神を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。 

自凝島神社は、古代の御原入江の中にあって 伊邪那岐神伊邪那美神の「国生み」の聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と呼ばれ、親しまれ、崇敬されてきた。

神社の鎮座する場所が「国生み」でつくり上げた最初の国土、淤能碁呂(おのころじま)であるといわれる。

せきれい石と呼ばれる石があり、つがいのセキレイが止まり、二神に「交(とつぎ)の道」を教えたとされている。

古事記・日本書紀によれば、神代の昔、国土創世の時、二神は天の浮橋に立ち、天の沼矛を持って海原をかき回すと、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となった。この島が自凝島である。

二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て、先ず淡路島を造り、次々と大八洲(おおやしま)を拓いていった。


伊弉諾神宮【兵庫県】

日本最古のお社である伊弉諾神宮(兵庫県淡路市多賀)の御祭神は、伊邪那岐神伊邪那美神の二神である。

記紀には、「国生み」に始まるすべての神功を果たされた伊邪那岐神が、御子神なる天照大神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構へて余生を過ごしたと記される。

その住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として日本最古の神社が創始されたのが、伊弉諾神宮の起源であるとされる。

地元では「いっくさん」と呼ばれ、日之少宮・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められる。

現在の本殿の位置は、明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であったという。御陵を中心とする神域の周囲には濛が巡らされたと伝えられ、正面の神池や背後の湿地はこの周濛の遺構とされる。

大半の建造物は、明治9年から同21年に官費で造営されたものであるが、神輿庫及び東西の御門は、旧幕時代の阿波藩主の寄進によるものであるという。

境内の広さは、約15,000坪と広大である。江戸時代の地誌にも「二丁四方の社地を領した」と記されていたという。

「丁」は「町」の略字で、尺貫法の長さを表す単位である。1町=約109.09mとして換算すれば、一辺2町 の正方形の面積は、約47,603平方メートル=約14,400坪となるので、広大な神域を有していたことが分かる。


三峰神社【埼玉県】

三峯神社(秩父市三峰)の由緒は古く、三峯神社大縁起によると、伊邪那岐神伊邪那美神の二神が日本武尊によって創祀されたのが起源とされる。

景行天皇の命により東国平定に遣わされた日本武尊は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向う途中で三峯山に登り、山川が清く美しい様子を眺めた。

その折、「国生み・神生み」の二神を偲び、仮宮を建てお祀りし、この国が永遠に平和であることを祈られた。この時、日本武尊を道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神の使いとして一緒に祀られている。

その後、景行天皇は日本武尊が平定した東国を巡幸された折に三峯山に登られ、妙法・白岩・雲取の三峰が秀でていたため三峯の名がついた。 つまり三峰高く美しく連らなることから「三峯の宮」の称号を授けたと伝わる。


熊野本宮大社【和歌山県】

熊野本宮大社(和歌山県田辺市)は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の中心、全国に4700社以上ある熊野神社の総本宮である。

御祭神は、熊野三山に共通する熊野十二所権現と呼ばれる十二柱の神々である。 奈良時代より神仏習合を取り入れ、御祭神に仏名を配するようになったとされる。

熊野本宮大社の主祭神は、熊野三山の他二社とは異なる家都美御子大神(けつみみこのおおかみ=素戔嗚尊(スサノオノミコト))であるが、本宮の上四社の第一殿と第二殿にはそれぞれ伊邪那美神(夫須美大神)と 伊邪那岐神(速玉大神)が祀られている。


上色見熊野座神社【熊本県】

上色見熊野座神社【かみしきみくまのいますじんじゃ】(熊本県高森町)の御祭神は、伊邪那岐神伊邪那美神の二神である。

阿蘇大明神健磐龍命(たけいわたつのみこと)の荒魂石君大将軍( いわぎみたいしょうぐん )も祀られている。

上色見熊野座神社(熊本県高森町)・参道第二鳥居には「熊野宮」の銘がある

創設は相当古く、紀州熊野より移したものと云う。南郷の総鎮守として祭祀されて来たが、従前の建物は天正年間に兵火により頽廃したという。

現在の社殿は、約300年前の享保七年(1723年)に建立されたものであるという。


天岩戸神話

神代の昔、天上には高天原という神々が住む世界があった。太陽の神、天照大御神やその弟の須佐之男命、その他多くの神々が暮らしていた。

須佐之男命は、大変な暴れん坊で、田んぼの畦を壊したり馬の皮を逆剥ぎにしたりした。いたずらがあまりにひどいことに怒った天照大御神天岩戸と呼ばれる洞窟にお隠れになった。

太陽の神がお隠れになると世の中は、真っ暗闇になり、植物が全く育たなくなり、動物が病気になったりと大変なことが次々と起こった。

困った八百万の神々は天安河原に集まり、天照大御神天岩戸から出てきてもらえる方法を相談した。相談の結果、天岩戸の前で色々な事が試されたがどれも成功しなかった。

そこで、天鈿女命(アメノウズメノミコト)が招霊の木の枝を手に持ち舞を始めた。その周りでは他の神々が騒ぎ立てた。

すると天照大御神は何事が起きたのかと不思議に思い、天岩戸の扉を少しだけ開けて外の様子を見ようとした。

神々は、騒いでいる理由を天照大御神に伝えた。「あなた様よりも美しく、立派な女神がおいでになったので今からお連れします。」と言い、鏡で天照大御神の尊顔を写した。

天照大御神は、それが自分の顔だとは気づかずないで、もう少しよく見てみようとさらに扉を開いて体を乗り出した。その瞬間を見逃さずに、思兼神(オモイカネノカミ)が天照大御神の手を引き、手力男命(タチカラヲノミコト)が岩の扉を開け放した。

こうして天岩戸から天照大御神に出て頂くことができたので、世の中が再び明るく平和な時代に戻った。

この件で、須佐之男命は、大いに反省し、高天原を離れて出雲國(現在の島根県)に行き、その地で八俣大蛇を退治したという英雄譚を残している。


天岩戸神社【宮崎県】

天岩戸神社社殿

天岩戸神社(宮崎県高千穂町)は、日本神話(古事記・日本書紀)の中に書かれている天照大御神がお隠れになった天岩戸と呼ばれる洞窟を御神体として祀っており、天岩戸神話の舞台となった場所である。

岩戸川をはさんで西本宮東本宮が鎮座し、両社とも、天照大御神を御祭神として祀っている。川上には八百万の神々が集まって、相談したとされる大洞窟、天安河原がある。

天岩戸神社天安河原と呼ばれる大洞窟

天安河原は、天岩戸神社西本宮から徒歩約10分のところにある。別名「仰慕ヶ窟(きょうぼがいわや)」とも呼ばれる。

いつの頃からか祈願する人たちの手によって石が積まれるようになり、神秘的かつ幻想的な雰囲気を漂わせている。

天岩戸神社天安河原大洞窟の内部は外からみるよりずっと広い

御神体である「天岩戸」は、西本宮から拝観することができる(要申込)。天照大神が岩戸隠れした際、天鈿女命が手に持って踊ったとされるのが 招霊(おがたま)のであるが、境内にはおがたまの木がある。


高千穂神社【宮崎県】

高千穂神社(宮崎県高千穂町)の御祭神は、高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神であり、特に農産業・厄祓・縁結びの神として広く信仰を集めている。

高千穂皇神は、次の6柱の神の総称である。

  • 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、
  • 木花開耶姫命(このはなさくやひめ)、
  • 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、
  • 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、
  • 鵜鵝草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)
  • 玉依姫命(たまよりひめのみこと)

いずれの神も日本神話(古事記・日本書記)に登場する神々であり、この機会に是非、名前を覚えたいと思う。

一方、十社大明神は、下記の10柱の神の総称とされる。

  • 三毛入野命(みけぬのみこと)、
  • 鵜目姫命(うのめひめのみこと)、
  • 御子太郎命(みこたろうのみこと)、
  • 二郎命(じろうのみこと)、
  • 三郎命(さぶろうのみこと)、
  • 畝見命(うねみのみこと)、
  • 照野命(てるののみこと)、
  • 大戸命(おおとのみこと)、
  • 霊社命 (れいしゃのみこと)、
  • 浅良部命(あさらべのみこと)
高千穂神社・本殿

高千穂神社は、約1900年前の垂仁天皇時代に創建された、高千穂郷八十八社の総社である。

神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されている。

鎮石(しずめいし)は、垂仁天皇の命により伊勢神宮高千穂神社に設置された石であり、願いを込めて祈ることで、世の中の乱れや人の悩みが鎮められるといわれている。

また、鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表した。畠山重忠の手植えとされる樹齢約800年の「秩父杉」や、二本の杉の幹が一つになった「夫婦杉」が境内で生長している。


天孫降臨

高千穂峰(標高1,574メートル)は、その秀麗な山容から霊峰の印象を人々に与える。天孫降臨の神話が生まれて当然の山々の姿は、わが国最初の国立公園として指定されている(1934年)。

記紀にも、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した後に、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が三種の神器を授けられ、神々を率いて降臨したと書かれている。

瓊瓊杵尊は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)のに当たる神である。

高千穂峡・「眞名井の滝」に優しく降り注ぐ光芒

瓊瓊杵尊が降臨したとされる場所が、 古事記には「筑紫の日向の高千穂のくじふるたけ」と記されている。

一方、 日本書紀には「日向の襲の高千穂」、「日向のくじひの高千穂」、 「日向の襲の高千穂くじひ二上峰」、あるいは「日向の襲の高千穂そほりの山峰」と記されている。

いずれにせよ天孫降臨高千穂の何処かであると考えて間違いはなさそうだ。

天照大御神は、太陽神・農耕神・機織神など多様な神格を持つ最も偉大な神である。

瓊瓊杵尊は、「アマツヒコホノニニギノミコト」といい、「アマツヒコ」は天津神の子の意味であるが、「ホノニニギ 」は「稲穂が豊かに実ったこと」を意味しているという。

天孫降臨に際し、天照大御神が「高天原にある斎庭(ゆにわ)の穂(稲穂)を与えよ」と述べたことが日本書紀に出てくる。

瓊瓊杵尊が降臨の際、稲作をこの地上にもたらし、産業における農業の神としての性格も強い。そして豊かに実った稲を高く積んだところ(=高千穂)に、農業の神(=豊穣の神)が降臨したことの意味は、稲作が展開する弥生時代を意識して記紀が編纂されたからであろう。

高天原での須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴な行動に、田の畔を踏み壊したり、田に水を引く溝を埋めたりする記述があるが、これも稲作と関係しているのだろう。


おわりに

天の神々は、地上に降り立ち、「国作り」を通じて、地上に様々な産業を起こした。その末裔が皇祖として、地上を治めるようになっていく。

そして、「国譲り」を経て、大和国が創建され、天皇を中心とした統一国家が誕生していくことになる。

大和国の成立によって、神々の信仰も体系化されていく。大和政権の権力基盤が強固になっていく過程と天皇家の正当性が描かれているのが日本最古の史記と言われる古事記と日本書紀である。

記紀の内容について、今まで知ったかぶりしていたがほとんど何も知らなかったに等しい。全く恥ずかしい限りだ。

今後は神社仏閣を参拝しようとするからには少しは事前に勉強しておこうと思う。


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須佐之男命を祀る神社

日本書紀による神々の物語【1】

日本書紀による神々の物語【2】

日本書紀による神々の物語【3】

アマテラスと伊勢の神宮

記紀が伝えるヤマトタケル像


【参考資料】

おのころ島神社(自凝島神社)【公式サイト】
伊弉諾神宮【公式サイト】
秩父 三峯神社【公式サイト】
熊野本宮大社【公式サイト】
上色見熊野座神社 |南阿蘇 高森町ポータルサイト
天岩戸神社 (公式サイト)
高千穂神社( 高千穂町観光協会) (公式サイト)
ウィキペディア(Wikipedia)