カテゴリー
平家落人伝説

椎葉村鶴富姫伝説と野迫川村の鶴姫伝説

はじめに

源平合戦の終焉とともに、各地に散った平家の落人たちの物語は哀しい。その中でも、宮崎県の椎葉村と奈良県の野迫川村には、鶴富姫【つるとみひめ】と鶴姫【つるひめ】というよく似た名前を持つ二人の姫の伝説が残されている。この二つの物語をたどると、戦乱の時代に咲いた儚くも美しい恋の記憶が浮かび上がってくる。

目次
はじめに
椎葉村の鶴富姫伝説
野迫川村の鶴姫伝説
二つの伝説、交差する伝承
あとがき

椎葉村の鶴富姫伝説

椎葉村は、宮崎県の山深い地域にある静かな集落で、平家の落人が逃れて暮らした地として知られている。源平合戦の終焉後、壇ノ浦で敗れた平家の残党が、豊後から阿蘇を越えて九州山地の奥深いこの地にたどり着いたとされている。

源頼朝は平家残党の追討を命じ、那須与一の弟・那須大八郎宗久も椎葉に派遣された。しかし、大八郎が見たのは、すでに農耕に励み、平和に暮らす落人たちの姿であった。彼は、戦う理由を失い、討伐を断念して、鎌倉には「討伐完了」と報告した後もこの地にとどまったという。

そのとき、大八郎の世話をしていたのが、平清盛の末孫とされる鶴富姫【つるとみひめ】である。やがて二人は恋に落ち、鶴富姫は子を身ごもる。

しかし、大八郎には鎌倉から帰還命令が届き、大八郎は泣く泣く椎葉を去ることになる。大八郎は、別れ際に太刀と系図を鶴富姫に託し、「男児なら下野国へ、女児ならこの地で育てよ」と言い残して去っていった。

生まれたのは女児で、鶴富姫は椎葉に残り、「那須」の姓を名乗って村を治めたとされる。

椎葉村には、現在も鶴富屋敷鶴富姫の墓が残り、村の民謡「ひえつき節」にもその恋が歌い継がれている。

現在も椎葉村に残る、鶴富姫の住居とされる鶴富屋敷は、国の重要文化財に指定されている。また、屋敷の隣には鶴富姫の墓や、彼女が使ったとされる湧き水「鶴富姫化粧水」、そして椎葉厳島神社がある。

鶴富姫と那須大八郎の恋は、椎葉の民謡「ひえつき節」にも歌われている。この歌詞の一節『庭の山椒の木 鳴る鈴かけて 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれ』は、姫が鈴の音を合図に大八郎と逢瀬を重ねたというロマンチックな伝承に由来しているとされる。


野迫川村の鶴姫伝説

一方、奈良県の山深い野迫川村にも、似たような物語が伝わっている。こちらの鶴姫は、平基継の娘とされ、九州・椎葉の里に逃れた後、那須大八郎と恋に落ちる。だが、やがて大八郎は鎌倉に呼び戻され、二人は別れを余儀なくされる。

その後、鶴姫は大八郎が熊野の地頭になったと聞き、彼を追って旅に出るが、野迫川の地で病に倒れてしまう。最期に詠んだ歌が残されている:

『たずねきし身に浮雲のめぐりきて、月のさわりになりぞ悲しき』

そして、「七尾七浦の見えるところに埋葬してほしい」と言い残して亡くなったと伝えられている。

現在、鶴姫公園には彼女の墓や観音像があり、伝説を紹介するパネル展示も行われている。


二つの伝説、交差する伝承

これら二つの伝説は、登場人物や展開が非常に似ていることから、同一の物語が地域ごとに変化した可能性もあると考えられている。

どちらの伝説も戦乱の中で芽生えた愛と別れ、そして女性の強さと哀しみを描いた物語である。

それぞれの地で語り継がれる鶴姫たちの物語は、現在もそれぞれの地域の文化や信仰の中に息づいている。


あとがき

鶴富姫【つるとみひめ】と鶴姫【つるひめ】は、名前が似ていて物語も重なる部分が多い。

恋に落ちた相手は、いずれも源氏の武将・那須大八郎宗久で、二人が出会った場所は同じ椎葉村である。ここまで共通点が多いと鶴富姫鶴姫は同一人物ではないかと思うのが自然である。

しかしながら、一般的には二人は別の人物として伝承されている

鶴富姫(椎葉村)は、宮崎県椎葉村に伝わる平家落人伝説のヒロインである。平清盛の末孫とされ、源氏の武将・那須大八郎宗久と恋に落ちる。大八郎が鎌倉に帰還する際、太刀と系図を託され、女児を産んで椎葉に残る。その子孫が「那須姓」を名乗り、椎葉村の基盤を築いたとされる。彼女の子孫は「那須姓」を名乗り、現在も椎葉村に多く住んでいるという。

一方、鶴姫(野迫川村)は、奈良県野迫川村に伝わる伝説の姫である。平家(平基継)の娘で、那須大八郎を追って旅に出るが、野迫川で病に倒れて亡くなる。「七尾七浦の見える場所に葬ってほしい」と言い残したとされ、現在も鶴姫公園に墓がある。

両者とも平家の姫で、那須大八郎との恋物語が語られている。そのため、地域によって同じ伝説が変化した可能性もあると考えられている。

ただし、椎葉村では鶴富姫の子孫が今も「那須姓」を名乗っているなど、地域に根付いた歴史的背景が強い。つまり、似ているけれど、それぞれの土地で独立した伝承として語り継がれている

このように、物語の結末居住地が異なることが、同一人物ではないとされる大きな根拠となっている。つまり、二人の姫は似ているが、地域の歴史的背景や文化的影響の違いから、別の人物として扱われているということらしい。

個人的には、二人の姫が同一人物であってほしい気持ちが強いが、証拠がないので致し方ない。

どちらの姫も、戦乱の中で愛と誇りを貫いて生きた存在として、今も人々の心の中に生きているのは確かである・・・


【参考資料】

鶴富姫の墓 – 椎葉村に残る平家の落人伝説
椎葉村観光協会 – 平家落人伝説
鶴富姫 | 椎葉村文化財巡りガイド
椎葉さんと那須さんばかりの村……現地で感じた「落人伝説」のリアル
鶴姫公園 鶴姫の墓 – 野迫川村
歴史ロマンを思う/野迫川村

【関連記事】

平家の落人伝説が残る「平家の隠れ里」への歴史浪漫旅
九州中央山地国定公園内に残る平家の落人伝説の山里への旅