はじめに
2026年(令和8年)1月4日から放送が始まった第65作目のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長を主人公に、百姓から下剋上をへて天下統一するまでを描くらしい。
戦国の世を終わらせ、天下統一を成し遂げた男は豊臣秀吉と言われているが、その偉業の陰には、もう一人の「豊臣」がいた。それが、秀吉の異父弟・豊臣秀長であるという。
本稿では、表舞台に立った兄・秀吉と、その背後で政権を支えた弟・秀長の知られざる絆と、天下統一の舞台裏を取り上げたい。
豊臣兄弟―農民から天下人へ
豊臣秀吉(1537年頃生)と秀長(1540年生)は、尾張国中村の出身であると言われている。
秀吉は「草履取り」から織田信長に仕え、頭角を現していく。一方、弟の秀長も兄の出世とともに仕官し、やがて「羽柴小一郎」として兄の右腕となっていく。
二人は血のつながりだけでなく、戦乱の世を生き抜く同志としての強い信頼関係を築いていく。
天下統一の影の立役者・秀長
秀長は、軍事・行政の両面で非凡な才能を発揮した。 彼の活躍が特に光ったのが、以下の戦いである:
- 四国征伐(1585年):
- 長宗我部元親を降伏させ、四国を平定
- 九州征伐(1587年):
- 島津氏を制圧し、九州を豊臣政権に組み込む
- 紀伊・大和の統治:
- 穏やかな統治で民心をつかみ、豊臣政権の安定に貢献
秀長は「戦わずして勝つ」調整型の武将で、敵将との交渉や家臣団のまとめ役としても優秀だったと伝えられている。
兄弟の絆が支えた政権運営
秀吉は豪胆でカリスマ性のあるリーダーであったが、時に強引さが目立つこともあった。 そんな兄を、冷静で柔和な性格の秀長が支えることで、政権はバランスを保っていたとされている。
家臣たちからも秀長は「太閤様よりも信頼できる」と評されるほどで、兄弟の補完関係が政権の安定を生んでいたとされる。
秀長の死と豊臣政権の変化
1591年、秀長が病でこの世を去ると、豊臣政権には大きな変化が訪れる。 秀長の死後、秀吉の政策は次第に強硬になり、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)など、無理な軍事行動が増えていったという。
歴史家の中には、「秀長が生きていれば、豊臣政権の崩壊は防げたかもしれない」と語る人もいるほど、彼の存在は大きかったようである。
豊臣秀長の家臣団
秀長は、兄・秀吉と同じく羽柴姓を名乗り、独自の家臣団を持っていた。彼の家臣たちは、温厚な主君のもとで安定した統治を支えた実力派揃いだったと言われている。
主な家臣たち:
- 増田長盛【ました ながもり】
- 秀長の右腕的存在
- のちに五奉行の一人にもなった有能な官僚タイプ
- 片桐且元【かたぎり かつもと】
- 秀長の重臣で、後に豊臣家の家老としても活躍
- 「大坂の陣」前夜にも登場する重要人物!
- 長束正家【なつか まさいえ】
- 財政や軍事に長けた実務家
- 秀長の政務を支えた
- 前野長康【まえの ながやす】
- 秀吉・秀長兄弟の古くからの家臣
- 戦でも活躍
彼らは、秀長の死後も豊臣政権を支える中核となったが、政局の変化に巻き込まれていく運命でもあったという。
豊臣秀長ゆかりの城跡
秀長は多くの城を築いたり、治めたりしていて、今もその名残が各地に残こされている。
- 郡山城(奈良県大和郡山市)
- 秀長の政治的拠点(本拠)
- 大和・紀伊・和泉を治める拠点で、豊臣政権の西国支配の要
- 現在は城跡公園として整備され、春には桜の名所としても有名!
- 高取城(奈良県高取町)
- 大和郡山城の支城群のうちの一つ
- 秀長の領国支配を支えた支城
- 高取山に築かれた山城
- 「日本三大山城」の一つ
- 大和郡山城の支城群のうちの一つ
- 和歌山城(和歌山県)
- 秀長が築城を命じたとされる城
- のちに浅野幸長や徳川頼宣が城主となり、紀州徳川家の本拠地に
あとがき
もう一人の天下人
豊臣秀吉の名は誰もが知っているが、その陰にいた「もう一人の豊臣」――秀長の存在を忘れてはいけない。
兄弟の絆があったからこそ、あの激動の戦国時代に天下統一という偉業が成し遂げられたのであろう。
歴史の表舞台に立つ者と、それを支える側の者。 その両方がいてこそ、時代は動いていく―― 豊臣兄弟の物語は、そんな真理を静かに語りかけてくれる。