はじめに
私はお経の知識を全く持ち合わせていないが、母の死を機会に関心を持ったのが、般若心経【はんにゃしんきょう】というお経である。
勉強するに際し、入門書として購入したのが「ひろさちやの般若心経88講」という本である。10年以上も昔の話である。
今、またこの本を何故読み返しているかというと、この本の「あとがき」に「般若心経は『見方革命』を教えた仏教の経典」と書かれていたことに非常に興味をもったからである。
般若心経
般若心経は、278文字からなるお経で、約3000余りもあると言われる仏教の経典のなかで最も日本人によく読まれるお経として知られている。
現代に伝えられている般若心経は、7世紀中頃に西遊記でも有名な玄奘三蔵がインドより原典を持ち帰り、漢語訳をされたものと伝えられている。
般若心経の正式名称は、「般若波羅密多心経」といい、世界で最も有名な仏教経典である。
仏説 摩訶般若波羅蜜多心経。
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。
度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。
空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子。是諸法空相。
不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中無色。
無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。
無眼界 。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。
乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。
以無所得故。 菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罜礙。
無罜礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。
三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。
是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚。
故説般若波羅蜜多呪。即説呪曰。羯諦。羯諦。波羅羯諦。
波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。
般若心経の内容は、 お釈迦様(仏陀)の教えを要約したものである。 大乗仏教における「空の思想」および「般若の思想」を説いているとされる。
般若心経の教えとは、世の中に存在するすべてのものは「空」であり、実体がないものであることを説いている。六波羅蜜を行うことで、般若の智恵を得ることになるが、その智恵さえも「空」であり、得るものにも実体はないと断じている。
ちなみに、六波羅密とは、布施(ふせ)・持戒(善い行い)・忍辱(耐え忍ぶこと)・精進(努力)・禅定(心を静めること)・智慧(ほかの5つの総括)のことを指す。
すべてが「空」であることを理解すると、死に対する恐怖もなくなり煩悩がすべてなくなる。この境地に至り、浄土へ向かうと仏の悟りに到達し、仏として生まれ変われるということを説いている。
般若心経の構成
般若心経は阿弥陀如来の慈悲を表す観世音菩薩が、般若の智恵を実践することで一切の苦しみから解放されたことに始まる。
観世音菩薩は、一切の苦しみから解放されるにはすべては「空」であることを見抜く必要があるという考えに至った、すなわち 「万物に実体はない」と説いた。
それに対し釈迦十大弟子の中でも「智慧第一」と呼ばれる舎利弗が、「般若の智慧を完成させるにはどうすればいいか?」と問いかけたとき、観世音菩薩が説いた言葉こそが般若心経と言われている。
六波羅密、すなわち、ほどこし、善行を重ね、耐え忍び、努力を怠らず、心を静めることで般若の智恵を完成させたことになる。
そして「照見五蘊皆空、度一切苦厄」とは、五蘊皆空であることに気づくことで、一切の苦厄から解放されるという意味になる。
ここで五蘊を人間を形成する5つのものと考えれば、五蘊皆空とは、人間の肉体も心も皆空、すなわち実態は存在しないものであるという意味になる。
「色即是空」という言葉について説明すると、「色」とは「色蘊(=しきうん:肉体のこと)」を指している。
「色は空に異ならず」とあるように、「肉体は実体がない」と説き、さらに「空は色に異ならず」とあるので、「実体はないものの、因と縁により存在している(空ではない)」と説いていることになる。
「受想行識もまたまたかくのごとし」とは、「受蘊」「想蘊」「行蘊」「識蘊」も「色蘊」と同様に実体はないが空ではないと説いていることになる。
「眼」が「視覚」のことで、「色」は「見る対象物」である。つまり視覚も因縁の結びつきであり、因縁が離れれば実体はなく、見えているものも因縁の結びつきであり、因縁が離れれば実体はないといっているわけである。
「智」とは智慧のことを指す。智慧とは単純に考えれば「学ぶ」ことである。般若心経で考えれば「五蘊皆空」であることに気づくことも智恵であるといえる。
しかし、智恵を得ている自分も五蘊皆空の考えにより実体がないわけであるから、得るべき智恵もまた実態がないということになる。
無所得とは、智恵を得ることに実体がない以上得るものにも実体はないということである。
少々難しい表現になるが、五蘊皆空に気づくことによって得られるものにもまた実体はないと説いている。
続く部分で観音菩薩は死に対する考え方、そして「悟り」について触れている。
「菩提薩埵」とは観世音菩薩のことであり、観世音菩薩は「般若波羅密多」を得たとしている。
「般若波羅密多」は2つに分解すると分かりやすい。「般若」とは「智慧」のことを意味している。
そして「波羅密多」とは、「彼岸に至る」ことを意味している。つまり「般若波羅密多」とは「彼岸に至る(浄土に至る)智慧」ということになる。
「心無罜礙」にある「罜礙」とは「煩悩」のことである。ここまでで、観世音菩薩は、彼岸に至る知恵を得たことで、煩悩がなくなったと説いている。
「無罜礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃」の中にある「顛倒」と「夢想」は、どちらも「間違った考え方」を意味している。
この一文が意味するのは、「煩悩がないので恐怖がなく、一切の間違った考え方から離れることで、涅槃の極みに到達する」ということになる。
「三世諸仏」とは3つの世界にいるすべての仏を意味している。3つの世界とは「過去」・「現在」・「未来」のことである。
そして「得阿耨多羅三藐三菩提」とは「仏の悟りを得る」という意味である。この一文で、「すべての仏は、彼岸に渡る智恵を得たことで、仏の悟りを得た」と説いている。
最後に観世音菩薩は、般若心経を「マントラ(=真言)」で締めている。
「般若波羅蜜多呪」という言葉に「呪」という漢字が含まれているが、「呪」とは「真言」のことを指している。「般若波羅密多の真言とは以下の真言になる」と説き、最後に真言が置かれている。
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」の「羯諦」は「行く」という意味である。そしてここでの「波羅」とは「向こう側」になり、「彼岸(浄土)」であることが分かる。
さらに「菩提」は「仏の悟り」、「薩婆訶」は成就するという意味になる。この真言を意訳すれば、「仏の道を完成させて彼岸に向かえば、仏として生まれられる」ということになる。
般若心経の現代語訳
仏説摩訶般若波羅蜜多心経。
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩。埵依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚。故説般若波羅蜜多呪。即説呪曰。羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。
偉大なる智慧の完成についての心髄の経
観自在菩薩が遥か昔に深い智慧を完成するための「深般若波羅蜜多」を修行していた時に、全てのことが「空」であることを悟って、一切の苦しみから解放されました。 舍利子よ、この世の中のありとあらゆる物質(色)は空なのである。空は物質(色)そのものである。しかし物質(色)は空であり、空は物質(色)なのである。人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することもまた全てが空なのである。全てのことが空なのだから、生じることもなく、消滅することもなく、綺麗も汚いもない。増えたり減ったりすることもない。それ故空の中には人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することや、目や耳、鼻や舌などの体の感覚と心で思うこと、その対象としての色、声、香り、味、触れるなどもない。私たちが目で見ている世界や認識世界もないのである。そもそも人間の無痴迷妄もなければ、老いや死ぬことに対する苦しみも存在することなく、ましてやその苦しみが尽きることなどないのである。苦しみというものの実態がなく、それを無くすための道もない。智慧や悟りもないのだから、何かを得るということすらない。悟りを目指す者は真実の智慧を得る「般若波羅蜜多」を実践しているのだから、心にはこだわりも執着もなく、恐れるものもない。過去、現在、未来の三世の諸仏も「般若波羅蜜多」を実践して悟りを開くことが出来た。
「般若波羅蜜多」はこの上ない真言、さとりの智慧の真言である。一切の苦しみを取り除き、絶対に偽りのない真実である。その真言は「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧婆訶」と唱える。
あとがき
今の私には、物欲や出世欲といったものはなくなっているが、まだまだ欲望が多く残されているように思う。つまり煩悩からの解放には未だほど遠い状況であると言わざるを得ない。
般若心経を読んだからといってすぐには悟りの境地に達することなどできないことは承知している。
しかし、私の強みでもある好奇心と知識欲をフル活用し、般若心経の教えを一日でも早く、深く理解して、悟りへの道に一歩を踏み出したいと願っている。
【参考資料】
ひろさちやの般若心経88講(ひろさちや著、新潮社) |
般若心経の意味と訳 | 高野山真言宗やすらか庵 |
空即是色【くうそくぜしき】仏教のことばで、この世のすべての物事は実体がなく空であり、その空であるものがこの世のすべてであるということ。「空」は、実体がないこと。「色」は、この世で実体があるすべての物事。「即是」は、すなわち。 『般若心経』 の「色は空に異ならず、空は色に異ならず。色即是空、空即是色」による。(引用:学研・四字熟語辞典)