はじめに
サラリーマン生活をリタイアし、いわゆるシニア生活を始めることになった。シニア時代の過ごし方について、多くの専門家と呼ばれる人は「趣味を持ったほうがよい」と助言している。
確かにシニア生活にもワクワクできるものがあれば良い。シニアになったからと言って「世捨て人」になったわけではない。
心から楽しめる趣味があった方がイキイキとしていられるとは思う。趣味を楽しむことでシニア時代の心配事である認知機能の低下を防ぐことができればなおされ嬉しいことだ。実際に老後の趣味は認知機能を維持するのに効果的であるらしい[1]。
この際、新しい趣味にチャレンジしてみるにはよいタイミングかもしれない。では、どんな趣味にチャレンジしてみるべきか?
気持ちがワクワクして、どうせなら死ぬまで続けられるような趣味を探してみたい。私にとってワクワクするような新たな趣味とはどんなものか?
私と同じようにシニアになってから何か新しいことを始めようとするシニア世代の人たちにとって、それを見つけるまでの思考のプロセスは共通するものがあるはずである。それを共有することで何かの参考になるかも知れない。残りの人生は限られている。始めるなら早いに越したことはない。
<目次> はじめに シニア世代が自分にあった趣味を見つけるための要諦 シニア世代のための新しい趣味の選択肢 ゲートボール 卓球 登山 サイクリング バードウォッチング 社交ダンス ガーデニング・園芸・盆栽 カメラ・写真撮影 旅行・温泉巡り 神社仏閣巡り 楽器演奏 絵画 語学学習 将棋・囲碁 ボランティア活動 読書 ブログ eスポーツ あとがき |
シニア世代が自分にあった趣味を見つけるための要諦
趣味の選択肢の中から新しい趣味を探してみたいと思うがすぐには決まらない。専門家が推奨する趣味以外にも私の知らない趣味の候補があるかも知れない。そこで、新しい趣味を見つけるための指標となるようなものを考えてみることにした。
シニアの人生は、まさに十人十色である。だから自分が心から楽しめることができる趣味は人によって違うのは当然である。
自分自身がワクワクして長く続けることができる趣味を見つけることが重要である。本当に心から楽しめる趣味を持つことができれば、シニアの人生も豊かなものになるはずである。
かつての私の趣味を振り返ると、若い頃は登山やスキーがメインであったように思う。体力にも自信があった頃で、技術を磨く努力をし、それが達成できたときの心地よい達成感に浸り、さらに高見を目指して努力する。
新しくできるようになることで見える世界(景色)も広がったように感じたものである。しかし、シニアになった今は体力が必要な趣味や持病のために心臓に負担をかけるようなスポーツ系の趣味は敬遠したいと思うようになった。
専門家が推奨しているシニア世代の趣味の候補が自分に合っているかどうかを考えてみて分かったことがある。
それは、趣味として何が楽しめるかというのは、シニアになるまでに過ごしてきた長い年月の間に経験して、身に付けてきた価値観や考え方に大きく影響されているということである。
したがって、その道の専門家が推奨している趣味であっても当人はすぐに飽きてしまい、長続きしないで終わることの方が多いのではなかろうか?
過去の自分の経験と繋がっていない場合、人によっては、シニア生活が始まったからといって旅行や温泉巡りを始めたところですぐに飽きてしまうかも知れない。
では、自分の過去の経験と繋がっているような趣味であった場合には飽きが来ないと言えるだろうか?
私自身の経験から言えば、継続できる趣味はどうやら自分自身だけが楽しいというものではないような気がする。
読書は、情報収集も兼ねているので別として、写真の趣味は妻にも喜んでもらっているように思う。人の役にも立ち、喜んでもらうことで自分自身も喜びを感じるような趣味が長続きするのではないかと思う。
誰かを喜ばせ、その人の喜びによって自分も楽しく笑顔になれるような趣味を見つけたい。それが新しい趣味を見つけるための私のゴールイメージである。
そんな趣味を新たに見つけ、その趣味と共に生きていけたなら幸せな後半生にきっとなるはずである。
シニア世代のための新しい趣味の選択肢
ゲートボール
高齢者が楽しむスポーツの一つとしてゲートボールがよく知られている。シニア世代の定番のスポーツとして、専門家と称する人たちからも推奨されることも多い。
しかし、私は下手なりにもゴルフを趣味の一つにしているので、ゲートボールの練習をする時間があるなら、ゴルフの練習をしたいと思ってしまう。
ゲートボールは近所の公園で同世代の人達とワイワイ楽しむことができると言われているが、友人や知人の中にゲートボールに夢中になっている者が皆無である。かつてのブームは去り、競技者人口も減少傾向にあるのかも知れない。
新しい趣味としてゲートボールを私が選択する可能性は将来も含めて低いだろう。
卓球
卓球も手軽なスポーツとして知られている。シニア向けの卓球教室も開かれていることが多いので、気軽に参加してみることは可能である。
しかし、私は卓球はできるし、卓球よりはテニスの方が夢中になれる。テニスは、会社員をリタイアしてからしていない。このままであれば、ラケットが朽ち果てるかも知れない。
これらのスポーツは相手が必要なので、自分だけのスケジュールで楽しむことができない。新しい趣味とするには難点である。
登山
登山は学生時代に始め、妻と結婚して子供が生まれるまでは続けていた趣味である。シニアになったのを機に再び趣味にしてもよい。登山は、一人でも行けるし、山岳の景色や自然を思う存分楽しむことができる上に体が鍛えられ、足腰が丈夫になる。
もっとも健康で、足腰が丈夫でなければ、登山はできない。私のように長期間にわたって日頃の運動不足という者は、まずは基礎体力とトレーニングが必要である。
ケガや事故を防ぐためにもウォーキングやジョギングなどで体を慣らし、体力を回復させるところから始めければならない。長期戦となることが容易に想像できる。
サイクリング
ジムなどで見かけるサイクルマシンを用いた有酸素運動は、ウォーキングやジョギングと同じよう健康に良いとされている。それなら、健康的な趣味としてサイクリングも選択肢に入れてもよいはずである。それにサイクリングは高校生の頃以来で懐かしい。
サイクリングは足だけではなく全身を使っての運動となるので、極端な足腰への負担を減らして取り組めるはずである。
しかもウォーキングやジョギングとは異なり、サイクリングであれば遠出も可能となるのが魅力的である。ドライブが好きな私は自転車でツーリングに出かけるつもりはないが、サイクリングでの琵琶湖一周には興味がある。自転車は車のトランクに入る折りたたみ式にしたいと思う。
バードウォッチング
バードウォッチングは、野鳥を観察する趣味である。この趣味を楽しむ者はバードウォッチャーと呼ばれるらしい。
野鳥の観察では、バードウォッチャーから野鳥に働きかけをしないことが重要視され、野鳥の生息環境に足を運び、自然状態の野鳥を観察対象にする。そして、鳥の鳴き声を聞き、姿を探し当てて、その行動を観察し、記録するなどの行動(探鳥)を指す。
森林、河川や湖沼、湿原、干潟、海岸など鳥類が多い様々な環境に観察者が出向くことになる。当然、観察する場所によって観察できる鳥の種類はそれぞれに異なる。
また、季節によっても違う種類の鳥が観察できるため、通年楽しめる趣味であるという。
自然の中に身をおくため森林浴などの側面もあり、また適度な距離を保って歩くハイキングを兼ねることも可能である。
幅広い年齢層が楽しめる趣味であり、勿論、シニアの趣味としても適していると言える。
バードウォッチングには、広い意味では、庭先に餌場や水場、砂場を作り、野鳥を集めて楽しむことも含まれるという(引用:ウィキペディア)。
自宅の庭にバードテーブルや水場などを設置して身近な野鳥の姿を観察することもありかも知れない。庭に植えている目隠し用の棒樫の木に巣箱を取り付けてもよいかも知れない。
社交ダンス
今日では、社交ダンスは日本でも人気スポーツの一つとなっているらしい。妻と二人で参加することもでき、楽しめると共に体を動かすので身体機能低下の予防になると思う。
妻の友人の一人が社交ダンスのレッスン・インストラクターでもあるから彼女に教えてもらっても良い。しかし、私は関節が極度に硬いので、柔軟な動きが求められるダンスに向いているとは考えられない。この歳で、人前でピエロを演じるのは御免である。
ガーデニング・園芸・盆栽
ガーデニングや園芸もシニア向けの趣味として推奨されている。ガーデニングは、適度に日光浴ができるし、運動にもなるので健康的な体の維持に良いと信じている。
しかしながら、私はシニアになる前からガーデニングを趣味にしているので新しい趣味とは言えない。
一方、盆栽を本格的にやったことがないので、興味はある。祖父が盆栽をしていたので、盆栽はおじいちゃんのイメージが強い。しかし、自分も今はシニアになったのだから「りっぱなおじいちゃん」の仲間入りをしているので盆栽を趣味にしてよいだろう。
盆栽は非常に繊細で奥深く、根の張り方や枝のバランスなどで良し悪しが決まる。一般的な園芸に比べて手間暇がかかりすぎる、つまり世話が大変であるという印象が強い。つまり、盆栽を新しく趣味に加えれば、他の趣味を犠牲にしなければならないかも知れない。そうならないようコケ盆栽ぐらいにしておこうか。
カメラ・写真撮影
世代を超えて趣味ランキングの上位に選ばれるのがカメラ・写真であると言われている。
私は既にこれを趣味にしており、その魅力を熟知しているつもりである。もっと上達したいと思っている。例えば、夜景やホタルの乱舞などをうまく撮影できるようになりたい。このようなモチベーションがある限り、今後も趣味であり続けるだろう。
旅行・温泉巡り
旅行や温泉巡りもシニアの趣味として人気が高いらしい。
年金生活に入ったので、何泊もする長期の旅行や贅沢はできないだろうとは思う。しかし、旅行、特に温泉地に行くのは今までも好きであったし、温泉巡りという程ではないにせよ、今後も温泉地には行きたいと思っている。
神社仏閣巡り
日本の歴史や文化に触れることができるので、神社や仏閣を訪れることは楽しい。しかも、特有の厳かな雰囲気は日常生活では味わうことはできないので、心のリラックスが得られるのも魅力の一つである。
妻が御朱印を集めるのをやめない限り、私は今後も妻のお供(専属ドライバー兼ポーター)で、神社仏閣巡りを続けていくことだろう。
楽器演奏
私は楽器をまともに扱えたという経験がない。その意味では新しい趣味として楽器演奏に着目してみるのも悪くない。
ピアノは指先を動かすことになるので認知症防止につながる可能性があるらしい。ピアノを新たに購入する経済的余裕はないが、その代わりに娘達が練習に使ったエレクトーンを使用してみるという手がないわけではない。
しかし、コツコツ作業が苦手な私は毎日の練習を続けていけるだろうか。全くもって、不安しかない。得手不向きから考えれば結果は目に見えている。
絵画
油絵や水彩画の絵画を趣味にするのはどうだろうか? 写真とは違った経験ができるはずだ。
時間に余裕のできた今なら、自分の好きなものを好きなだけ描くことができるかも知れない。何より自分一人でもできるのが魅力的である。
知人の画伯に手ほどきを頼んでみようか? しかし、才能ゼロと評価されて、大切な友人を一人失うリスクがないわけではない。
それよりも時々、美術館に行き、本物の芸術作品に触れていた方が自分の感性を磨くことができると今は思っている。
語学学習
英語だけに限らず、ドイツ語やフランス語、スペイン語にも興味がある。ちょっとした挨拶が分かるだけでも楽しいかも知れないと思う。
ITの進歩のおかげで、最近は自宅で学ぶことができるオンラインレッスンも聴講できるという。わざわざ会話教室に通うのは面倒であるが、オンラインレッスンならハードルが低くなる。
まずは無料レッスンを探して、自分の好みに合いそうな言語を見つけることから始めてみようか。
将棋・囲碁
将棋や囲碁は、頭を使うので、認知機能低下のリスクを下げてくれる効果があると期待されている。
藤井聡太五冠(竜王・王位・叡王・王将・棋聖)の活躍の影響が大きく、最近は将棋の注目度も上昇しているらしい。
友人や知人とコミュニケーションをとりながらできるのが将棋の魅力の一つと言われているが、残念ながら私の友人・知人で将棋や囲碁を趣味にしている者はいない。
コンピュータ相手に将棋や囲碁を指しても練習になるかも知れないが、コンピュータ・ゲームと何ら変わらないように思う。
ボランティア活動
老後の生活のために適切な趣味を見つけられないシニアに対してその道の専門家はボランティア活動を勧めている。
確かに地域のボランティア活動にはいろいろな種類のものがあって、自分にあったボランティア活動を探すことができるかも知れない。
しかし「ボランティア活動が趣味」というのは、「仕事が趣味=仕事が大好き!」とは異なる違和感を感じるのは私だけであろうか?
私はシニアがボランティア活動に精を出すことを決して否定しているわけではない。社会貢献の一つとしてもボランティア活動は推奨されるべきであると思う。
只、無償の奉仕活動とはいえ、ボランティア活動に参加するのならそれなりの責任と使命感をもって参加すべきであり、自分のミスで相手や他のメンバーに迷惑をかけた場合、趣味だからといって言い訳をするような真似はすべきでないと思う。
「趣味がないならボランティア活動でもやれば」では決してないと私は思う。趣味がないなら、なくてもよいではないか。趣味があるからといって偉くもない。趣味がないことは恥ではない。趣味がないことに引け目を感じさせ、ボランティア活動に誘導するような行為は止めてもらいたい。
ボランティア活動に参加するにはそれなりの覚悟が必要であるとの観点から、ボランティア活動を趣味の範疇にカウントすることには私は違和感を覚える。
私が本能的に感じる違和感の根源は何かについて考えてみたところ、私が理解している前提が両者で違っていることに気付いた。
私にとって趣味は、自分の好きなこと、自分の思い通りにやりたいこと、自分勝手なスケジュールでできること、自己満足できること、など自分中心(自己中;self-centered)で、「自分」が優先されるものである。趣味は嫌になったら自分の都合ですぐにやめることもできる。だから趣味が多いからと言って決して自慢できるものではない。
一方、社会貢献の一環であるボランティア活動はどうであろうか? 活動対象が人でも環境でも「相手」が存在する。自分よりも相手が優先されるべきものである。
自発的行為であることは趣味と重なるが、ボランティア活動の場合は対象となる「相手」の意思が一番に尊重されないといけないと思う。そこが「自己中」の趣味とは異なる点であると思う。
「相手」が人である場合は特にそうである。「相手」には明確な意思や主張があり、相手の意向に沿った活動をしなければならないと思う。人は熱心になればなるほど、知らず知らずのうちに善意の押し付けになりやすい。良かれと自分勝手な思い込みで、相手の意思を確認しないまま行ったボランティア活動は、時として感謝でなく、相手に顰蹙を買うことになるかも知れない。相手とのトラブルが生じた場合に、こちらが逆切れでもしようものなら事態は最悪となる。
ボランティア活動は、趣味とは呼ばず、趣味とは一線を画して行う、社会貢献と捉えて行うべきだというが私の意見である。
これは私の個人的な意見である。ボランティア活動も趣味であると信じて、社会貢献に努めている方を誹謗中傷しているわけでは決してない。
只、人前で堂々と「趣味はボランティア活動です」と声高に言い、「ボランティア活動、君もどう?」と上から目線で誘ってくるのは止めてもらいたい。
社会貢献のための奉仕活動は、自分の信念における自発行為であり、本来、周囲には分からないよう黙々とやるべき行為だと私は思っているだけである。
誤解を与えないように書いたつもりではあるが、伝わらない場合もあり得る。世の中には理解力に欠ける人もいるので念を押しておきたい。私は無益な争いを好まない。
読書
好きなジャンルや好きな作家の作品を読むことは楽しい。読書を始める時間の過ぎるのが速く感じてしまう。読書はシニア生活の楽しみの一つとしても欠かせない。三国志や源氏物語など長編を読み返すこともできる。
読書は、さまざまな知識を身につけてシニアの生活を豊かなものにしてくれる基盤のような位置づけである。読書のない生活は私には想像できない。
最近は電子書籍の方が安く購入できるが、私は製本された書籍で読みたい派である。紙媒体の方がパソコンのディスプレイで読むより目が疲れない。
大体、電子書籍が縦書きである理由が分からない。折角、電子化するなら横書きにすべきであり、その方がスクロールも容易で早く読めるはずだ。私は電子書籍がすべて横書きにならない限り、紙媒体の書籍を今後も購入することだろう。
ブログ
ブログ (blog) は、World Wide Web上のウェブページに、覚え書きや論評などを記すウェブサイトである。「WebにLogする」のウェブログ (weblog) をブログ(Blog)と略称する。執筆者はブロガー (blogger)、個別記事はブログエントリーと呼ばれるらしい(引用:ウィキペディア)。
ブログの魅力は、自分の考えを世の中に伝えることができることである。自分の考えを世の中に伝え、社会を変えたいなどといった野望があるわけではなく、自分が発信した情報がどこかの誰かの役に立てれば率直に嬉しい。
確かに今の時代はTwitterやInstagramの方が全盛期を迎えていると思うが、それらのアカウントは非常に増えてしまっている。有名人でもない一般人がTwitterやInstagramのなかで独自性を発揮することは難しくなっているのではないかと思う。
ブログを趣味としてやっている人は多いが、WordPressを使って一から自分で作っている人はそれほど多くないという情報もある。私がブログを始めたのは、WordPressに興味を持ったことが発端である。
そして、ブログには、アフィリエイトやアドセンスといった広告をブログに貼ることで、お金を稼げるというチャンスがあるという。しかし、そのチャンスは狭き門だと思う。ブログでお金を稼ぐというのは非常に難しいということが容易に想像がつく。
ブログを始めるのは簡単であるが、多くの人に見てもらうのが大変である。PV(Page View;ブログページが表示された回数)を伸ばすことは至難の業である。SEO業者と呼ばれる、ブログにアクセスを集めることをビジネスにした会社もあるなかで、個人が自分のサイトにアクセスを集めるのは容易なことではない。
未だにPVが期待以上に増えないのは我慢である。SEO対策をより積極的に実施する時期にきていると心得ている。
良い記事を書いたからといって、すぐにPVが伸びるわけでもない。自分では良い記事を書いたと思っても誰にも見られない可能性の方が高い。ジレンマを感じるがそれが現実である。
しかしながら、自分が学べば学ぶほど多くの人のお役に立てる情報を提供することができる。新しいことや今まで知らなかったことを学ぶことは実に楽しいことである。
ブログをしなかったら、社会に何かのメッセージを伝えることも、情報という価値を提供することもできない。ブログは、無名の一般人が社会に向けてメッセージを発信できる唯一の手段であると感じ始めている。
ブログを始めて1年半が経ったが、率直に言って、ブログは結構大変である。しかしその分学べることも多い。学びが多いということは、その分楽しいということである。だから、三段論法ではないが、私の中ではブログは楽しいという結論に至っている。
eスポーツ
eスポーツは、Electronic Sportsの略で、まだ明確な定義はないということである。一般的には、テレビゲームやモバイルゲームなどの対戦ゲームを、スポーツ競技として捉えたときに用いられる用語らしい。
そのeスポーツが、シニア世代にも人気を集めているという。定年退職後の生きがいや、孫との共通の趣味として楽しむ人が増えているのだという。
また、高齢者にとってテレビゲームが脳の活性化や認知機能低下の予防になると、数多くの研究結果が発表され[2]、介護施設や自治体で活用され始めているという。
eスポーツの存在を知って私の知らないところで世の中が変わってきていることを痛感した。もっとも認知予防のためであるならeスポーツでなくとも普通のテレビゲームで十分であろう。
私自身は、今のところeスポーツを積極的に始めようとは思わない。多分、夢中になりすぎて他の趣味がおろそかになる懸念を本能的に感じとっているためかも知れない。
定年退職後、外出の機会が減り、人との関わりが減ってしまうシニア世代にとって、確かにeスポーツは社会と繋がる必要なツールになるといえるかも知れない。仲間ができ、一緒にプレイすることでコミュニケーションをとる機会も増えることだろう。何よりも世代を超えた共通のコミュニケーションの場ができそうなのが良い。
近い将来、私もeスポーツにはまっているかも知れないがそれは今ではない。私の場合、健康で、体が動く間は積極的にアウトドアの趣味を始めようと思っているからである。
あとがき
すでに楽しんでいる趣味がありながら、何故新たな趣味を探す必要があるのか、今の趣味を極めれば良いではないかというご意見がありそうだ。確かにそうである。何も苦労して一から始めなくても、長らく続けて来た趣味を今後も続ければよい。
私は、現在進行形の趣味を止めて、新しい趣味に乗り換えようとしているわけでは決してない。今の趣味は嫌になるまで、または何等かの理由で継続不能になるまでは続けようと思っている。
では、何故、新しい趣味にチャレンジしたいかというと今まで知らなかった世界が広がるのではないかと期待しているからだ。食わず嫌いは止めて、とにかく経験してから自分に合うか合わないかを考えてみようと思っている。
それができるようになったのはリタイアして自由に使える時間が増えたからである。このチャンスを活かさない手はないと思っての試みである。体験してみて分かることは世の中には沢山ある。私は、そういうものを一つでも多く知りたいと思う。
今回、新たに始める趣味について真剣に考えた結果、私自身はサイクリングとバードウォッチングを選ぶことにした。
多分、サイクリングは体力に不安があるので、早々にリタイアすると思う。では何故、数ある選択肢の中からサイクリングを選んだかというと、トレーニングを積んで、サイクリングで琵琶湖一周をしてみたいと思ったからである。
サイクリングは高校生の頃以来で懐かしい趣味ではあるが、多分、琵琶湖一周を実現したらモチベーションを維持できないと思う。夏場は暑いので敬遠したいし、冬場は外出自体を敬遠したい。春と秋の最も良い季節は短い。季節でなくとも天候の影響は受ける。悪天候の日も勘弁してほしい。弁解(Excuse)の口実を探すのが容易なアウトドアの趣味は長続きしないか、あるいは中途半端であることは実証済みである。
一方、バードウォッチングはどうであろうか? 春先に庭の梅の木に止まりに来るメジロを可愛く思っている。春先を待たなくてもこちらからメジロ以外の野鳥にも出会いに行けるとなると俄然、興味が湧いてくる。何より森林浴を兼ねて森林に行く口実が増えるのが良い。バードウォッチングを介して何か自分にとっての新しい発見があれば嬉しい。
『誰かを喜ばせ、その人の喜びによって自分も楽しく笑顔になれるような趣味を見つけたい。それが新しい趣味を見つけるための私のゴールイメージである』と冒頭の『はじめに』で書いたが、サイクリングもバードウォッチングも自己中心の自己満足で始めようとするだけで身近な家族すら喜ばせることになっていない。
否、私が留守になるので妻は喜んでくれるはずだ。それに健康を保ち、介護が必要でなければ妻や娘たちは喜ぶはずだ。そう信じることにする。